世界史の流れが分かる古代オリエント完全版
皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史を勉強していると、最初の方に習う古代オリエント史。正直に言って、
- 民族の名前
- 文明や国の名前と場所
- それぞれの文明や国の政治体制や特徴
- 歴史の流れ
などをたくさん覚えないといけないので、面倒ですね。
「覚えることが多すぎるし、流れも分からない。何とかならないのだろ うか…」
と悩んでいる方も多いのではないでしょうか。
大丈夫です。この記事を読めば
について理解できます。
古代オリエント
古代オリエントは前6000年にオリエントで起こった文明です。オリエントというのはヨーロッパから見て太陽が昇る所(東)という意味です。
ちなみにオリエントというのは現在の中東ですね。
多くの民族が活躍 メソポタミア文明
メソポタミア文明はティグリス川とユーフラテス川の内側の地域で起こった文明です。
ティグリス川が東で、ユーフラテス川が西ですね。
メソポタミアには山脈、海、砂漠といった天然の要塞がありません。
なので、平坦な土地に多くの民族が登場します。覚える側にとっては厄介な話ですね。
シュメール人
最初に高度な文明を作ったのはシュメール人です。それまで文明は小さな村落でしたが、都市国家へと変わって行きました。彼らが使った文字も解読されていて、都市国家の名前がウルやウルクだったことも分かっています。前3000年頃の言葉が分かっているのはすごいですね。
また、シュメール人は王が神権政治を行っていました。神をまつるための巨大な建造物ジッグラト(聖塔)が現在まで残っています。
そんなシュメール人の都市国家は、前24世紀にアッカド人によって滅亡しました。
アッカド人
シュメール人の都市国家を滅ぼしたアッカド人。彼らはメソポタミアやシリアの都市国家を統一し、大きな領域国家を作ります。
しかし、アムル人という民族にとって代わられました。
アムル人
アムル人はバビロン第1王朝(古バビロニア王国)を建国しました。古バビロニア王国というのは、バビロンを都とした最初の国ということです。アッシリアという国が分裂後、同じバビロンを都とした新バビロニア王国ができます。
バビロン第一王朝といえば、ハンムラビ王のハンムラビ法典が有名ですね。
「目には目を歯には歯を」
という言い回しは知っているのではないでしょうか。このハンムラビ法典の特徴は
- やられた以上にやり返してはならない(復讐法)
- 身分によって刑罰が異なる
です。
楔形文字による成文法ができたバビロン第1王朝でしたが、ヒッタイト人によって滅亡します。
ヒッタイト人
ヒッタイト人はバビロン第一王朝を滅ぼした最強の民族です。最強の秘密は
- 初めて鉄製の武器を使用
- 馬や戦車も使用
したこととされています。
ヒッタイト人は小アジア(現在のトルコ)に拠点を構えながら、バビロン第一王朝だけでなく、エジプト(新王国)にも攻めました。
しかし、謎の民族「海の民」によって滅ぼされます。
ナイルの賜物 エジプト文明
エジプト文明ができたのはメソポタミアの少し後でした。エジプトは定期的なナイル川の氾濫によって発展していきます。氾濫によって、上流から農業に最適な土が流れてききました。
エジプトはファラオという王が神権政治をします。それではエジプトを古王国、中王国、新王国に分けて見ていきましょう。
ピラミッド 古王国
エジプトの古王国はピラミッドが多く作られたことで有名です。ピラミッドといえば、この写真のような巨大で精密な建造物ですよね。
異民族により混乱 中王国
中王国は異民族に翻弄された王朝です。中王国末期に遊牧民のヒクソスが流入して国内が大混乱しました。
最盛期 新王国
エジプト文明で最も栄えたのは新王国です。
中王国末期に入ってきたヒクソスを追い払って、国ができます。
新王国で覚えておきたいファラオはアメンホテプ4世(イクナートン)です。アメンホテプ4世は急激な改革をいくつもします。その例として
などです。
エジプトは多神教だったのですが、アメンホテプ4世は
「アトン神だけを信仰しろ!他の神は信じるな!」
と言いました。そして、自らをイクナートン(アトンに愛された者)と名乗ります。
さらには遷都も行いました。
これらの政策は多くの反発を生み、彼の死後は多神教に戻りました。
ちなみに彼の次のファラオは、あの黄金のマスクで有名なツタンカーメンです。
東地中海の民族
東地中海の沿岸(現在のシリア、パレスチナ)には三つの民族がいました。その理由は、東地中海沿岸は重要な交易の拠点だったからです。
ここでは東地中海に住んでいた民族、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人を紹介します。アラム人とファニキア人は、覚えるときに
「どっちが内陸交易で、どっちが海上交易だったけ?」
となりがちです。何度も繰り返し唱えて記憶に定着させましょう。
内陸交易 アラム人
アラム人は内陸交易を行いました。
彼らの使っていたアラム文字は西アジア各地に広がります。主に拠点としたのは後にウマイヤ朝の都となったダマスクスです。
海上交易 ファニキア人
同じく交易を行ったファニキア人は、海上交易で活躍します。
商売を行う過程で、地中海各地に多くのファニキア人都市を作りました。中でも有名なのは、ローマ帝国の歴史に登場するカルタゴです。カルタゴはローマと戦争しますね。
もう一つ有名なのは、フェニキア文字です。フェニキア文字はアルファベットの起源とされています。アルファベットを見たことも書いたこともないという人はいないですよね。
フェニキア文字はギリシアに伝わって、ギリシア文字となります。α(アルファ)やβ(ベータ)、Δ(デルタ)というのはギリシャ文字ですね。そのギリシア文字がアルファベットとなっていきます。
ユダヤ教 ヘブライ人
ユダヤ教を生み出したことでも有名ですよね。
ユダヤ教は
などで有名ですね。しかし、数々の苦難が成立の背景にあるというのは押さえておきたいポイントです。
苦難を時系列順に並べると
エジプトで迫害される(この時、ヘブライ人たちを引き連れたのはモーセ)
↓
自分たちの国を作るが分裂
↓
分裂した国も滅亡
↓
新バビロニアからバビロン捕囚を受ける
などです。
苦難の連続が、選民思想などの要素を含んだユダヤ教へ影響を与えたというのは大事ですね。
オリエント統一そして分裂
ついに達成されたオリエントの統一。しかし、厳しい統治が分裂を招いてしまいます。
アッシリア
初めてオリエントを統一したのはアッシリアという国です。アッシュル=バニパル王という王の征服活動により達成されました。
しかし、厳しすぎる統治がアッシリアを短命にしてしまいました。
具体的には
「俺に逆らった民族は根絶やしにしてやる!」
というスタンスですね。そのあまりの残酷さから、多くの反発の声が生まれました。そうして反乱が起こって、4つの国に分裂しました。
4つに分裂
アッシリアが分裂してできた国は
エジプト、リディア、メディア、新バビロニア
です。
最終的にこの4国を統一するのはアケメネス朝ペルシアです。
寛容で中央集権的 アケメネス朝ペルシャ
再びオリエントを統一したのはアケメネス朝ペルシアという国です。厳しすぎる統治で滅んだアッシリアを反面教師にし、寛容な政治をしました。
3代目のダレイオス1世はサトラップ制で広大な領土を中央集権的に管理します。この時の領土はインドの北東部からギリシャの北東までありました。
その領土を郡に分けて、サトラップという知事を置きました。知事が反乱を起こそうとしていないかを監視する監視官(王の目、王の耳)も置きます。そうして中央集権的な国を作りました。
しかし最終的に、アレクサンドロス大王により滅ぼされます。
アケメネス朝ペルシア滅亡後
アケメネス朝ペルシアが滅亡した後の流れはこんな感じです。
アレクサンドロス大王の大帝国
↓死後
3つに分裂
↓
パルティア(中国名:安息)
↓
ササン朝ペルシヤ
ササン朝ペルシャ
ササン朝ペルシャはパルティアを倒して西アジアに成立した国です。都はクテシフォン、国教はゾロアスター教(拝火教)と定められます。
帝政ローマや東ローマ帝国と並ぶ強国で、長い間抗争を繰り広げます。
この抗争が、イスラーム教の聖地メッカやメディナが発展するきっかけになりました。
そうして、生まれたイスラーム教徒と戦うこととなり(ニハ―ヴァントの戦い)、ササン朝ペルシャは敗北します。その結果、滅亡しました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回はメソポタミア文明からササン朝ペルシャまでの古代オリエントを簡単にまとめました。
古代オリエントの流れをつかんで、高得点を目指してみてくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。