(世界史)ギリシアのまとめ エーゲ文明~アレクサンドロス大王(誰でも流れが分かる)
皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史を勉強していると出てくる古代ギリシア世界。あなたは古代ギリシア世界がどんな流れだったか説明できるでしょうか?もしかすると
「ずいぶん前に勉強したからほとんど覚えていない…」
という人もいるかもしれません。そんなあなたも大丈夫です。
この記事を読めば
- 古代ギリシアの簡単な流れ
- エーゲ文明について
- 2つのポリス アテネとスパルタ
- ギリシア世界の転機 ペルシア戦争
- アレクサンドロス大王
- 分裂→ローマ帝国の支配下になるまで
が理解できるようになります。
古代ギリシアとは
世界史で勉強する古代ギリシアは地中海を中心として発展しました。
ローマ帝国とともにヨーロッパ文化のルーツで、
- ギリシャ神話
- プラトンやソクラテス、アリストテレスなどの哲学
- ミロのヴィーナスなどの彫刻
- パルテノン神殿などのギリシア建築
などで有名です。さらに、古代ギリシアでは民主主義という考えを世界で初めて生み出しました。
エーゲ海からギリシア本土へ エーゲ文明
エーゲ文明は東地中海に生まれた青銅器文明のことです。
エーゲ海から名付けられたエーゲ文明は2種類に分けられます。
- 前半のクレタ文明
- 後半のミケーネ文明
の2つですね。クレタ文明とミケーネ文明にはどんな違いがあるのでしょうか?それぞれ見ていきましょう。
海に囲まれて平和な文明 クレタ文明
クレタ文明は前2000年頃にできた文明です。名前の由来ともなった、クレタ島で栄えました。クレタ島の場所は下の地図をご覧ください。
クレタ文明で覚えておきたいことは
- 明るく解放的な文明
- クノッソス宮殿
の二つです。
一つ目の明るく開放的な文明というのは、どういうことなのでしょうか?実はクレタ文明にはクノッソス宮殿のような宮殿はあったのですが、城壁はありませんでした。また、当時の壁画には海の生き物や人々が描かれています。だから、明るくて開放的なのです。
二つ目のクノッソス宮殿について見ていきましょう。
Dimitri Devogeleer, CC 表示 3.0,
http:// https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=43021214
による
クノッソス宮殿はクレタ文明最大の遺跡で、エヴァンスによって発見されました。ちなみに、クノッソス宮殿はギリシャ神話に登場する伝説上の建築物でした。考古学者だったイギリス人のエヴァンスは
「クノッソス宮殿は実在する!」
と信じて、クレタ島で発掘を続けました。発掘を続けると、本当に見つかったので驚きですよね。
また、クレタ文明には線文字Aという未解読の文字があります。
ギリシア本土の戦闘的な文明 ミケーネ文明
エーゲ文明の後半に栄えたのはミケーネ文明です。ミケーネ文明はクレタ文明と対称的な文明と言えます。なので、陸の方(ギリシア本土)にあって、戦闘的な文明ですね。
彼らが戦闘的なのを表すのは、城塞などの鉄壁の守りです。
ミケーネ文明では王様がいて、役人たちが人々から貢ぎ物を集めていました(貢納王政)。貢納王政をしていたということは、当時使われた線文字Bという文字を解読して明らかになったことです。
ちなみに、ミケーネ文明はドイツのシュリーマンによって発見されました。
謎の時代 暗黒時代
繁栄していたミケーネ文明は、突然衰退してしまいます。なぜ衰退したのかと思ったかもしれません。しかし、なぜなのかは未だ不明です。
そして、実態が全く分かっていない暗黒時代が400年間続きます。
都市国家 ポリスの時代
ポリスの特徴
暗黒時代が終わると、ギリシャにはたくさんのポリス(都市国家)ができます。ポリスはアクロポリスと呼ばれる城山を中心に作られました。下の写真で言うと、神殿っぽい建物が建った所ですね。
Harrieta171 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=588884
による
そして、ポリスにはアゴラと呼ばれる広場があって、アゴラでは市場が開かれたり、集会をしたりしました。
古代ギリシア人は小さな山の周辺に小さな国を作って住んでいたのです。さらに、地中海各地に植民市という都市を作りました。
古代ギリシアの人々
古代ギリシアの人々には市民と奴隷がいました。さらに市民は、貴族と平民に分けられます。少しややこしいですね。ここまでの話をまとめると、下の図のようになります。
アテネとスパルタ
ギリシアのポリスで有名なのはアテネとスパルタです。超大事なので、それぞれの特徴を見ていきましょう。
市民全員による民主制が実現 アテネ
最初に紹介するのはイオニア人のポリス、アテネです。アテネの位置は下の地図をご覧ください。
アテネでは、段階的に
市民全員による直接民主制が達成されました。ここで言う”市民”はギリシア人の成人男性のことです。なので、女性や奴隷、異民族には参政権はありませんでした。今とはスタイルが違う民主制ですね。
そんなアテネも最初は貴族たちだけが政治をしていました。しかし、最終的には平民も政治に参加できるようになります。
市民全員による直接民主制が達成されるまでを、簡単にまとめると、下のようになります。
厳しい軍国主義で統治 スパルタ
一方、スパルタでは、少数の市民が大多数の被征服民を支配していました。被征服民は、農業をするヘイロータイと商工業をするペリオイコイに分けられます。図で表すとこんな感じですね。
少数の市民たちはどうやってポリスをまとめたのでしょうか?大多数の被征服民に反乱を起こされたら大変ですよね。ポリスをまとめたのは、徹底した軍国主義です。
市民たちは徹底した軍国主義によって、被征服民に
「市民たちって、実際大したことないな」
と思われることを防ぎました。スパルタの厳しい政策は、厳しい教育を表す「スパルタ教育」という言葉を生んでいます。
ギリシア世界が団結 ペルシア戦争
そうして、ギリシア世界にあるピンチが訪れます。どんなピンチなのでしょうか?ピンチというのは、西の大国アケメネス朝ペルシアとの戦争(ペルシア戦争)です。きっかけは小アジア(現在のトルコ)で起こったギリシア人の反乱でした。その反乱にアテネを中心とした諸ポリスが支援しました。こうして、
のペルシア戦争が始まります。
- マラトンの戦い
- サラミスの海戦
- プラタイアの戦い
を連勝してギリシアが勝利しました。
ペルシア戦争後
ペルシア戦争後起こったことは
- 無産市民の発言力が高まる
- デロス同盟とペロポネソス同盟ができた
- ペロポネソス戦争が起こった
の三つです。それぞれ一つずつ見ていきましょう。
一つ目の無産市民の発言力が高まったというのは、ペルシア戦争で活躍したからです。ちなみに無産市民というのは、武器を買う余裕がないほど貧乏な市民のことですよ。そんな無産市民はペルシア戦争の二回戦、サラミスの海戦で活躍します。いったいどうやって活躍したのでしょうか?
無産市民は三段櫂船の漕ぎ手として活躍しました。三段櫂船というのは三段に分かれてオールを漕いで動かす船です。
CC 表示-継承 3.0,https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=250720
そうして、全速力で進む船を敵の船に突進させて戦いました。これなら武器を持ってなくても戦争に参加できますね。
戦争で活躍した無産市民は発言力が増して、政治に参加できるようになりました。
二つ目のデロス同盟とペロポネソス同盟の誕生は、アテネが次の戦争に備えたことから始まりました。アテネはギリシアの外の国と戦争になったときのために、周辺のポリスと団結しました。
これがアテネを中心としてデロス同盟ですね。
一方、
「デロス同盟なんて気に食わない」
と思うポリスたちもいました。スパルタを中心としたポリスたちのことです。彼らはデロス同盟に対抗して、ペロポネソス同盟を結成しました。
デロス同盟とペロポネソス同盟の対立は戦争へ発展しました。三つ目のペロポネソス戦争のことですね。そうして、長い間ギリシア人同士で争っていたので、諸ポリスは衰退していきました。
アレクサンドロス大王の大帝国
そんな衰退したギリシア世界に、マケドニアというギリシア人の一派が現れます。マケドニアというのはギリシア人なのにポリスを作らない一派でした。いわば、ちょっと仲間外れになっていたギリシア人たちですね。
しかし、フィリッポス2世とアレクサンドロス大王がマケドニアを大きく発展させていきます。
フィリッポス2世はペロポネソス戦争で混乱するアテネとテーベをカイロネイアの戦いで破りました。そして、全ギリシアのポリス(スパルタ以外)をコリントス同盟でまとめます。フィリッポス2世はコリントス同盟でギリシア世界を支配したのです。
フィリッポス2世の子であるアレクサンドロス大王。彼は東方遠征をして大帝国を造ったことで有名ですね。ギリシアの北部マケドニアから軍を進め、
- イッソスの戦い
- アルベラの戦い
を勝利していきました。そして、ギリシアからエジプトや中央アジア、インダス川のあたりまでを支配します。アレクサンドロス大王の帝国完成ですね。アレクサンドロス大王は
- 征服地に複数のアレクサンドリアという都市を築く
- 東西の文化を融合させる(ヘレニズム文化)
などを行います。
しかし、マケドニアへ帰る途中にアレクサンドロス大王は急死します。彼は自分の後継者を誰にするか言わなかったので、争いが起きました。争いに勝った後継者たちが3つの国(アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト)を建国します。アレクサンドロス大王の帝国は三つに分裂したということですね。
ついに、ギリシア世界は前2世紀にはローマ帝国に併合されました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は世界史で習う古代ギリシアについて解説しました。今回の内容をまとめると
- エーゲ文明は、前半はクレタ文明、後半はミケーネ文明
- 400年間の暗黒時代の後、ポリス(都市国家)の時代が始まる
- アテネでは段階的に直接民主制になる
- スパルタでは少数の市民が大多数の人々を軍国主義で支配していた
- ペルシア戦争のためにポリス同士が協力し、何とか勝利
- ペルシア戦争後、デロス同盟(アテネ中心)とペロポネソス同盟(スパルタ中心)の戦争が起こる→ギリシア衰退
- マケドニアのアレクサンドロス大王はギリシア世界も含めたインドまでの大帝国を造る
- アレクサンドロス大王死後、帝国は3つに分裂
- ギリシア世界は前2世紀にはローマ帝国の支配下に
という感じです。
今回の内容をマスターしてテストで高得点を獲得し、自由な人生の実現を目指しましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。