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(世界史)違いが説明できる 一条鞭法と地丁銀制(中国史)

 

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 皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史で中国史を勉強するとき、一条鞭法と地丁銀制という税制が出て来ますよね。この二つは共通点もあれば、違う点もあってややこしいと思っているかもしれません。

 あなたは二つの税制の違いや、なぜ一条鞭法は地丁銀制に変わったのか分かりますか?分からないという方も大丈夫です。

 この記事を読めば

  • 一条鞭法と地丁銀制の違い
  • 以前の税制 租庸調制や両税法との違い
  • 税制が変わった理由

を理解できます。

 長いのですぐに答えを知りたいという方はまとめだけ読むのがおすすめです。

一条鞭法と地丁銀制の違い

 まずは、一条鞭法と地丁銀制の共通点から見ていきましょう。共通しているのは二つとも銀で税を納める制度ということです。

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 一条鞭法の方はの後期(万歴帝の時)に始まった税制で、土地税と人頭税(人にかかる税)を全て銀で払う税制です。

  もう一方の地丁銀制は、人頭税を土地税の中に含んで納入する仕組みです。要するに人頭税を廃止する代わりに、土地税を増税したということですね。この税制は前期の康熙帝(こうきてい)のときに始まりました。

中国の王朝の順番は明→清ですよね。 なので実施された順番は、

一条鞭法→地丁銀制です。

 中国の王朝の順番を忘れたという方は、それぞれの王朝の特徴も確認できる(ごちゃごちゃ解決) サクッと読める中国の王朝まとめ(中国史)

がおすすめです。

以前の税制との比較

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 一条鞭法の前は両税法租庸調制という税制がありました。両税法(唐中期~)は年二回農作物や貨幣で納める税制です。

 もうひとつの租庸調制は、農作物と労働で税を納める仕組みでから中期まで行われました。租庸調制は均田制とセットで実施されました。租庸調制は均田制で作った戸籍で税を集めていました。

 なので、租庸調制といえば均田制とセットと覚えておきましょう。

一条鞭法になった理由

 税を一条鞭法で銀で納めるようになったのはなぜでしょうか。理由の一つ目は、現物経済から貨幣経済へと移り変わったからです。言い方を変えると、現物よりもお金の方が価値のある世の中になったといえます。そりゃ腐ったり、かさばったりする現物よりも貨幣の方が便利ですね。なので、現物を納める両税法は廃止されました。

 しかし、ここまで読んで


f:id:ruriageha:20210227072614j:plain「なぜ貨幣じゃなくて銀で納めるのか?」

と疑問に思った人もいると思います。

 もう一つの理由は貿易で銀が大量に流入したからです。当時の貿易では生糸や陶磁器を銀と交換していました。

 生糸や陶磁器はたくさん売れたので、膨大な量の銀が中国に入ってきます。ちなみに、中国に入ってきた銀は、アメリカ大陸産の銀と日本の銀ですね。入ってきた銀の主な使い道は高額な取引をするときです。ちなみに、貨幣は比較的安価な取引をするときに使われました。よく高額な取引をする官僚たちにとって使い勝手の良いのは銀でした。

 なので官僚たちは


f:id:ruriageha:20210305180942j:plain「給料をもらうのなら貨幣よりも銀の方が良い」

と思い始めます。

 そうして、官僚たちは銀で給料を求めるようになり、一条鞭法が実施されました。

 長くなりましたが、なぜ一条鞭法に変わったのか?と問題で聞かれたら,

・銀が大量に流入したから

・貨幣経済になったから

などと答えて大丈夫です。

なぜ地丁銀制に変わったのか

 なぜ一条鞭法地丁銀制に変わったのでしょうか?一条鞭法から地丁銀制に変わった理由はどんどん人口が増加したからです。f:id:ruriageha:20210206173648j:plain

急激に人口が増えると、国が正確に人口を把握して税を取るのが大変になります。


f:id:ruriageha:20210310205717j:plain「人口が多すぎて、一人ずつ調べるのはめんどくさい…」

という理由でサボると、税を取りそびれてしまいます。人口がわからないと一人ひとりにかかる人頭税は取れないですね。

 そうして、人頭税を廃止する代わりに土地税を高くする地丁銀制を採用します。土地税だけになったので、一人ひとりが負担する税自体は減りました。しかし、結果は

・より多くの税を取れるようになった

・人口もさらに増加

となります。より多くの税を取れるようになった理由は、税を取りそびれることが減ったからですね。家族が増えても税金は上がらなかったので、人口も増えていきました。   結果でいうと、地丁銀制は大成功ですね。

まとめ

 いかがでしたでしょうか。今回の記事の内容を簡単にまとめると、

・一条鞭法は税をすべて銀で取る仕組み

・地丁銀制は人頭税を廃止した(銀納)

・上記の2つと異なり、租庸調制は農作物と労働、両税法は農作物と貨幣で納入

・一条鞭法になったのは貨幣経済になり、さらに銀が大量に流入したから

・地丁銀制になったのは人口が増加したから。

・実施された順番は租庸調制→両税法→一条鞭法→地丁銀制

となります。

 今回の内容をマスターして、高得点を目指してくださいね。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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