(世界史成績アップにつながる)ルネサンスは何?超丁寧に解説
皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史でヨーロッパの歴史を学ぶとルネサンス(文芸復興)という用語が出てきますよね。突然ですがルネサンスって何でしょうか?どう変化したのでしょうか。
わからないと思った方もご安心ください。この記事を読めば
・ルネサンスが起こって何が変わったのか
・なぜイタリアでルネサンスは起こったのか
・イタリア=ルネサンスと西ヨーロッパ諸国のルネサンスの学問や文化
・天動説と地動説
・ルネサンス三大改良
・ルネサンスと同時代に起こった出来事との繋がり
が説明できるようになります。説明できるというのはとても大事なことで、
説明できる=深く理解しているということです。この記事では変化していく流れとなぜそうなったかが、わかるようにしています。
ルネサンスは文芸復興
ルネサンスというのは14世紀から16世紀初めにかけて起こった文化的な変化です。
日本史でいうと室町幕府が誕生して、戦国時代が始まったりした頃ですね。
どんな文化的な変化が起こったのかというと、中世の神中心の価値観から古代のように人間中心の価値観に戻るという現象が起きました。そう、中世ヨーロッパは人間よりも神や教会の言うことが第一でした。
しかしそれが正しいのかという風潮が生まれ、中世以前の人間中心の価値観を復興していきます。
ルネサンスはまずイタリアで起こり、イギリスやフランスなどの西ヨーロッパに広がっていきます。
なぜルネサンスはイタリアで始まったのか
なぜルネサンスがイタリアで最初に始まったのでしょうか?これには主に三つの理由があります。
一つ目は十字軍大失敗による教皇権の衰退です。十字軍って何だったけ?という人にがいるかもしれません。そんな方にはこちらの記事がおすすめです。
十字軍遠征が行われる前は、教皇や教会はヨーロッパで生まれた人たちにとって人生の全てでした。
しかし
「さあ、十字軍を派遣しよう!」
と教皇が言ったのに十字軍でボロ負けしてしまったので
「本当に教皇や教会が言っていることは正しいのか。教会がなかった時代の人々はどんな風に生きていたのだろうか。」
と人々は疑問を持ちました。
しかも、この時代には、十字軍や地中海貿易などでヨーロッパの外の世界に触れた人々がたくさんいました。なので外の世界の文化がどんどん入ってきます。それが教会の言うことは本当に正しいのかという疑問を大きくしていきます。
そんな背景もあって、ヨーロッパの人々は古代ヨーロッパの史料を求めていました。イタリアは十字軍をきっかけに地中海貿易がさかんにおこなわれるようになり、ほかの地域よりその傾向が強くなりました。
その頃、イタリアにビザンツ帝国の学者たちが亡命してきました。
15世紀にビザンツ帝国はオスマン帝国の攻撃により滅亡してしまいます。学者たちは戦いから逃れるために逃げてきました。
ちょうどいいことに、その学者たちは当時の人々が求めていた古代の知識を持っていました。これが二つ目の理由です。
三つ目の理由はイタリアの諸都市の大商人や貴族、教皇が学問や芸術を保護したからです。学者や芸術家のスポンサーになってくれるお金持ちがいたということですね。
例えばフィレンツェには大商人メディチ家が栄えていました。メディチ家はミケランジェロを保護したり、ボッティチェリに絵を描くように依頼したりします。また、メディチ家からレオ10世という教皇も輩出しました。レオ10世は贖宥状(免罪符)を売ったことで有名です。これがきっかけで宗教改革が起こりました。
これら三つの理由によってイタリア=ルネサンスは発展しました。しかし、イタリア=ルネサンスで生まれた文化は庶民のものではなくてお金を出したスポンサーのものでした。なので学者や芸術家たちは、貴族や大商人、そして教皇にとって都合の悪いことは発表できませんでした。そこをふまえると近代の自由な文化とは程遠いものでした。
イタリア=ルネサンスの思想と芸術
文学
イタリア=ルネサンスで押さえておきたい作家がダンテとボッカチオです。共通点はどちらもヒューマニズムを体現した人間味のある作品です。
ダンテは詩人で、とくに有名なのは『神曲』です。この作品では当時イタリアで日常的に話されていたトスカナ語を使用します。モチーフは神でしたが、ラテン語でなくトスカナ語を使うことで作品の人間性が増しました。
もう一人のボッカチオは『デカメロン』という物語を書きました。デカメロンってなぜか印象に残るタイトルですね。
『デカメロン』は愛と欲をテーマにした作品で、禁欲的なキリスト教からするとありえないものでした。しかしとても人間味にあふれた作品でヒューマニズムを体現します。
思想家
イタリア=ルネサンスで登場した政治的思想家を一人紹介します。それはマキャベリです。彼は『君主論』という本で
「政治は宗教や道徳と分離すべき」
と主張しました。神ではなく人間中心という近代的な考えですね。
画家
そんなに美術に詳しくない人でも、モナ・リザやレオナルド=ダ=ヴィンチ、ミケランジェロという名前は、一度は耳にしたことがあると思います。それぐらい有名な絵画や画家をここでは紹介します。
ただここで紹介できる画像は限られているので、学校で使っている教科書や資料集があるという人はルネサンスのページを見てみてください。ないという人はグーグルで(ルネサンス+絵画)などで検索してみてください。、少し面倒ですが、そのほうが文字ばかり読むよりも100%記憶に残ります。
イタリア=ルネサンスの絵画の特徴は
・宗教画が多い
・写実的(人の目線)
・遠近法を多用
の三つです。宗教画で題材とされている宗教はキリスト教に加えて、ギリシャ神話も取り入れられたのも大きな特徴といえます。ギリシャ神話は様々なゲームや漫画、アニメでも題材やモチーフになっているのでなじみ深いかもしれません。
そんなイタリア=ルネサンスの絵画を初期と最盛期に分けて紹介していきます。
最初期
イタリア=ルネサンス絵画の先駆者といえる人物を二人解説します。
一人目はジョットです。ジョットは立体物を絵画に取り入れました。
もう一人は、ボッティチェリです。ボッティチェリはギリシャ神話の神々を題材として取り入れ、『春』や『ヴィーナスの誕生』などを描きました。
特に『ヴィーナスの誕生』はフィレンツェのメディチ家の注文で描かれたものでギリシャ神話のヴィーナスをモチーフとしています。見ての通り写実的でまさにリアルな感じですよね。
最盛期
イタリア=ルネサンス絵画最盛期はルネサンスの三大巨匠といわれる三人の画家が有名です。ルネサンスの三大巨匠はミケランジェロ、レオナルド=ダ=ヴィンチ、ラファエロです。
ミケランジェロは『最後の審判』や『ダヴィデ像』を製作しました。『最後の審判』はシスティナ礼拝堂の天井画の一つで、キリスト教の教えの一つである最後の審判を表現しています。ダヴィデ像はフィレンツェにある大理石像で旧約聖書のダヴィデがモチーフです。
レオナルド=ダ=ヴィンチは『モナ=リザ』や『最後の晩餐』を描きました。どちらの絵も遠近法が使うことで人間目線を体現しています。ちなみに、レオナルド=ダ=ヴィンチは(ヴィンチ村のレオナルド)という意味なので絶対フルネームで書いてください。
『モナ=リザ』はたぶんみんな知っているの思うので画像は割愛します。この絵の特徴はこの記事で紹介した三巨匠の作品の中で唯一、宗教画ではないということです。
『最後の晩餐』はイエスが十字架に架けられる前に、弟子たちと食事をする場面を描いた作品です。この絵では遠近法を使ってイエスが中心となるように描かれています。
ラファエロは聖母子像で有名です。聖母子像というのは下の絵のように聖母マリアと幼いイエスが描かれた絵です。
西ヨーロッパのルネサンス
イタリアで始まったルネサンスは西ヨーロッパ諸国へと広がっていきました。そうすると、よりヒューマニズムや多様性という要素が強まりました。
文学
西ヨーロッパのルネサンスで文学で有名な人を三人紹介します。
一人目はイギリスの劇作家で詩人のシェークスピアです。人間の心情を作品で表現しました。代表作は『ハムレット』や『ヴェニスの商人』などです。
二人目はスペインのセルバンテスです。騎士を題材とした『ドン・キホーテ』という物語で、中世の騎士道精神を批判しています。
最後はイギリスのトマス・モアです。架空の国をテーマとした作品である『ユートピア』が有名です。
絵画
ルネサンスが西ヨーロッパ諸国に広がると表現されるものが多様化しました。宗教画だけでなく、様々な題材が取り入れられます。
一人目はドイツのデューラーです。『四人の使徒』という油絵が有名です。これだけは覚えておきましょう。
もう一人はドイツのブリューゲルです。ブリューゲルは『農民の踊り』という絵を描きました。読んで字のごとく農民の暮らしをテーマとしています。
最後に紹介するのはネーデルランドのファン=アイク兄弟です。ネーデルランドという国は今のベルギー、ルクセンブルク、オランダの辺りにありました。フランドル派を作りました。
科学
ルネサンスは神学から科学への転換が起こりました。神よりも、科学的に証明できることの方が正しくなってきたということですね。そうして近代的な価値観に近づいてきました。
ここでは
・ルネサンスの三大改良
・天動説から地動説
を解説します。
ルネサンス三大改良(発明)
ルネサンス三大改良(発明)では
・火薬
・羅針盤
・活版印刷
の三つがヨーロッパに普及していきます。この三つは中国で発明されたもので、ヨーロッパに伝わってきました。三つともヨーロッパの発展に大きく貢献します。
火薬を使用する火器(大砲や鉄砲)が生まれ、ヨーロッパの戦術を大きく変化しました。
火器はそれまでの剣などと比べると
・高威力
・攻撃できる範囲が広い
・効率的(習得にかかる時間が短い)
とまさに上位互換です。剣などの武器は使いこなせるようになるまでには、たくさんの訓練をしないといけませんでした。効率悪いですね。なので、火器が登場すると剣などを使っていた騎士は出番がなくなりました。
羅針盤は方角を示す道具で、遠洋航海術を発展させました。羅針盤が登場したことにより大航海時代が始まります。
最後に紹介するのは活版印刷です。
活版印刷が登場する前は写本(手書きで本を写す)が一般的でした。考えるだけでめんどくさそうですね。手書きで本を作っていたので、大量生産が難しく、本によって書いてある内容が違うということもありました。なので本というのは高価で、内容の正確性にも欠けるものでした。
そう考えると、同じものをたくさん刷れる活版印刷は大発明ですね。それにより本などの印刷物が安く買えるようになり、大衆化します。その結果、新しい思想がたくさんの人に広まりやすくなりました。
天動説から地動説へ
どんな発展かというと、正しいのは天動説(地球を中心に他の天体がまわっている)から地動説(地球や他の天体は太陽の周りをまわっている)へ変化していきました。しかしそれまでの道のりは困難なものでした。
というのもヨーロッパ世界の中心だった教会は天動説を支持していたからです。天動説は、聖書の教えと一致していると考えられていました。なので天動説は間違っていると主張すると、異端とされ厳格に処罰されました。
それに異論を唱えたのがポーランド人の聖職者コペルニクスです。コペルニクスは天動説よりも地動説の方が正しいと確信しました。しかし、異端扱いになるのを恐れて死の直前に本を出版して、地動説を主張します。よっぽど異端になるのが恐ろしかったのですね。
コペルニクスの主張した地動説を補強したのが、イタリアのガリレオ=ガリレイです。彼は望遠鏡での観測で、天動説は間違っていて地動説が正しいといえる根拠を見つけます。
そしてそれを本で発表しました。
しかし、教皇のおひざもとだったイタリアで活動していたので、教会にばれて異端とされてしまいます。
こうした苦難の道のりを乗り越え、ついにドイツのケプラーが地動説を完成させます。
まとめ
いかがだったでしょうか。今回の記事では
・ルネサンスが起こってどう変化したか
・なぜ最初にイタリアで起こったか
・神学から科学への転換
について丁寧に解説しました。
今回の内容を踏まえて自由な人生を手に入れるために頑張りましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。