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(世界史)それぞれの思想となぜ活躍したか分かる諸子百家


  皆さんこんにちはルリアゲハです。たくさん出て来てややこしい諸子百家。

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全然覚えられないと思っているかもしれません。

 そこで今回は諸子百家のそれぞれの思想となぜ諸子百家は生まれたのかについて解説します。この記事を読めば

・諸子百家は何なのか

・儒家、法家、道家などの学派の特徴

・諸子百家が生まれた時代背景と生まれた理由

・儒家がそれぞれどんなことを主張したか

が説明できるようになります。世界史を受けている方は覚えないと後で困りますよ。

諸子百家は何?

 諸子百家は中国周王朝の時に活躍した多くの思想家の総称です。似たような考えを持った集まりを家と言います。大きく分けて儒家、法家、道家、墨家、縦横家、兵家、陰陽家などがあります。諸子百家の「子」というのは先生という意味です。

なぜ諸子百家は生まれた?

 時代背景:戦乱の世

 諸子百家が活躍したのは周(東周)の春秋・戦国時代です。500年ほど続き、春秋と戦国の二段階がある長い戦いの時代です。この時代は周の有力諸侯たちが覇権争いをしていました。

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まさに日本の戦国時代のような感じです。ちなみに日本史の戦国時代は、中国史の春秋・戦国時代から名づけられています。長い戦乱の時代だったからたくさんの思想家が生まれたのですね。

諸子百家が活躍した理由

 諸子百家が活躍したわけは戦乱の世を生き抜くため、独創的な思想を諸侯が求めたからです。この時代の諸侯の悩みは

「どうしたら自分の国を強くできるのだろうか」

ということでした。なので諸侯たちはこぞって

・強い軍隊の作り方

・家臣や民に自分の言うことを聞かせるには

・敵に勝つための戦術

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といったことを求めました。

 今でいうとたくさんの学生が成績を上げるために、参考書や問題集を買っていく感じです。

 そうして諸子百家は大活躍していきました。

代表的な諸子百家

 ここでは代表的な諸子百家を紹介します。たくさん出てきますが、

・儒家

・法家

・道家

・墨家

は大事です。特に儒家は完璧に覚えてください。(後の中国史でもたくさん出てきますから!)

儒家 重要度A

 儒家は「上下関係を徹底して国を治めよう」と説きました。孔子という人が

「国を治めるにはまず家族に思いやりの心をもって、行動で示すべきだ」

と主張したのが儒家の始まりです。孔子の思想をまとめた本として論語が有名ですよね。

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思いやりの心=仁(じん)と仁を行動で表す=礼(れい)を重んじます。

 理屈を言うと

 家族の中で上下関係を徹底すれば家族を裏切らなくなる

         ↓

 上下関係を徹底すると上司や君主を裏切ることがなくなる

         ↓

      国が安定する

という感じです。

 のちに孟子(もうし)と荀子(じゅんし)という儒家の思想家が、それぞれ性善説(人の本質は善)と性悪説(人の本質は悪)を主張します。

 孟子は性善説や王道政治を唱えました。王道政治というのは徳のある優れた君主が国を治めるべきということです。

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優れた君主に使える家臣は思いやりの心を持つようになります。人は本質的にはみんな善人と言ってますからね。そうすると、自然と行動で示してくれるようになるという主張です。

 周囲に尊敬されたいのなら、徳のある人になりなさいということですね。

 一方、荀子は性悪説や覇道政治といった孟子と反対のことを主張します。覇道政治は、君主は自らの権力で国を治めるべきということです。権力で家臣に言うことを聞かせれば自然に国は平和になるということですね。

法家 重要度A

法家は国を治めるには厳しい法が必要と提唱しました。

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法家では商鞅(しょうおう)や韓非(かんぴ)、李斯(りし)が有名です。また、儒家に対して

「徳で統治なんてできるわけがない!ルールを守らせるべきだ。」

と批判しました。

 法家は春秋・戦国時代の勝者で、始皇帝で有名な秦王朝に仕えました。そして、李斯は焚書と坑儒をするように始皇帝に助言します。焚書は必要ないと判断された本をすべて焼いた思想弾圧で、坑儒はライバルだった儒家を生き埋めにした事件です。めちゃくちゃ残酷で厳しいですね。

 法家はルールを徹底させたと覚えましょう。

道家 重要度A

 道家は、無為自然という自然のままに自由に生きる考えを主張しました。

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代表的な人物として、老子と荘子がいます。

 彼らは儒家の思想を

「仁や礼なんて人為的なものだ。自然のままに生きるのが一番である。」

と批判しました。

道教は後にいろいろな民間信仰と合わさって、道教という宗教になっていきます。

墨家 重要度A

 墨家は万人に対する無差別な愛である兼愛が大事と主張しました。人々が平等に愛し合えば、争いが起こらず世界は平和になるということですね。

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 この考えを主張したのは墨子です。顔に入れ墨があったから墨子と呼ばれるようになったといわれています。

 また、墨家も儒家の仁は差別的な愛だと批判します。

陰陽家 重要度B

 陰陽家は世の中の全ての現象は陰と陽、木火土金水(もっかどこんすい)の陰陽五行説で表せると説きました。陰陽家は上で挙げた四つに比べるとテストに出ませんが、王朝交代の理論を説明したりして、大きな影響を後世に与えています。

 例えば王朝交代の理論を陰陽五行説で表してみましょう。そうするとこうなります。

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この図にそれぞれの王朝を当てはめていきます。例えば隋は火で、その次の王朝の唐は土になります。

 世界史で中国の歴史を勉強すると、赤眉の乱と黄巾の乱が出てきますよね。どちらも王朝交代直前に起こった農民反乱です。

 一つ目の赤眉の乱は漢の復興を目指して行われました。

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漢は火だったので、みんな赤い眉で乱を起こしました。その後に後漢にができました。

 もう一つの黄巾の乱は後漢に代わる王朝(土の王朝)を作るための乱でした。なのでこの乱では黄色い頭巾をかぶりました。

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その他の諸子百家 重要度C

 さっき紹介した五つ以外の学派を紹介します。(あまりテストなどでは出て来ません)

縦横家

 縦横家は外交について説きました。代表的な人は蘇秦と張儀です。

兵家

 兵家は戦いに勝つ方法(戦術や戦略)を説きまわりました。呉子や孫子が有名ですです。

農家

 農家は文字どうり農業技術について説きました。主な農家は許行です。

まとめ

 今回は諸子百家について解説していきました。今回の内容をまとめると、

・諸子百家は周の春秋・戦国時代に活躍した思想家

・春秋・戦国時代は戦乱の世を生き抜くための独創的な思想が求められた

・儒家(上下関係、仁、礼))、法家(厳しい法で統治)、道家(無為自然)、墨家(兼愛)が特に重要

・陰陽家(陰陽五行説)王朝交代の理論を説明したり、後世の思想に影響を与えた

という感じです。

 儒家は色々な学派から批判を受けましたが図にまとめるとこんな感じです。

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 最後までお読みいただきありがとうございました。