世界史の流れが分かる古代オリエント完全版
皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史を勉強していると、最初の方に習う古代オリエント史。正直に言って、
- 民族の名前
- 文明や国の名前と場所
- それぞれの文明や国の政治体制や特徴
- 歴史の流れ
などをたくさん覚えないといけないので、面倒ですね。
「覚えることが多すぎるし、流れも分からない。何とかならないのだろ うか…」
と悩んでいる方も多いのではないでしょうか。
大丈夫です。この記事を読めば
について理解できます。
古代オリエント
古代オリエントは前6000年にオリエントで起こった文明です。オリエントというのはヨーロッパから見て太陽が昇る所(東)という意味です。
ちなみにオリエントというのは現在の中東ですね。
多くの民族が活躍 メソポタミア文明
メソポタミア文明はティグリス川とユーフラテス川の内側の地域で起こった文明です。
ティグリス川が東で、ユーフラテス川が西ですね。
メソポタミアには山脈、海、砂漠といった天然の要塞がありません。
なので、平坦な土地に多くの民族が登場します。覚える側にとっては厄介な話ですね。
シュメール人
最初に高度な文明を作ったのはシュメール人です。それまで文明は小さな村落でしたが、都市国家へと変わって行きました。彼らが使った文字も解読されていて、都市国家の名前がウルやウルクだったことも分かっています。前3000年頃の言葉が分かっているのはすごいですね。
また、シュメール人は王が神権政治を行っていました。神をまつるための巨大な建造物ジッグラト(聖塔)が現在まで残っています。
そんなシュメール人の都市国家は、前24世紀にアッカド人によって滅亡しました。
アッカド人
シュメール人の都市国家を滅ぼしたアッカド人。彼らはメソポタミアやシリアの都市国家を統一し、大きな領域国家を作ります。
しかし、アムル人という民族にとって代わられました。
アムル人
アムル人はバビロン第1王朝(古バビロニア王国)を建国しました。古バビロニア王国というのは、バビロンを都とした最初の国ということです。アッシリアという国が分裂後、同じバビロンを都とした新バビロニア王国ができます。
バビロン第一王朝といえば、ハンムラビ王のハンムラビ法典が有名ですね。
「目には目を歯には歯を」
という言い回しは知っているのではないでしょうか。このハンムラビ法典の特徴は
- やられた以上にやり返してはならない(復讐法)
- 身分によって刑罰が異なる
です。
楔形文字による成文法ができたバビロン第1王朝でしたが、ヒッタイト人によって滅亡します。
ヒッタイト人
ヒッタイト人はバビロン第一王朝を滅ぼした最強の民族です。最強の秘密は
- 初めて鉄製の武器を使用
- 馬や戦車も使用
したこととされています。
ヒッタイト人は小アジア(現在のトルコ)に拠点を構えながら、バビロン第一王朝だけでなく、エジプト(新王国)にも攻めました。
しかし、謎の民族「海の民」によって滅ぼされます。
ナイルの賜物 エジプト文明
エジプト文明ができたのはメソポタミアの少し後でした。エジプトは定期的なナイル川の氾濫によって発展していきます。氾濫によって、上流から農業に最適な土が流れてききました。
エジプトはファラオという王が神権政治をします。それではエジプトを古王国、中王国、新王国に分けて見ていきましょう。
ピラミッド 古王国
エジプトの古王国はピラミッドが多く作られたことで有名です。ピラミッドといえば、この写真のような巨大で精密な建造物ですよね。
異民族により混乱 中王国
中王国は異民族に翻弄された王朝です。中王国末期に遊牧民のヒクソスが流入して国内が大混乱しました。
最盛期 新王国
エジプト文明で最も栄えたのは新王国です。
中王国末期に入ってきたヒクソスを追い払って、国ができます。
新王国で覚えておきたいファラオはアメンホテプ4世(イクナートン)です。アメンホテプ4世は急激な改革をいくつもします。その例として
などです。
エジプトは多神教だったのですが、アメンホテプ4世は
「アトン神だけを信仰しろ!他の神は信じるな!」
と言いました。そして、自らをイクナートン(アトンに愛された者)と名乗ります。
さらには遷都も行いました。
これらの政策は多くの反発を生み、彼の死後は多神教に戻りました。
ちなみに彼の次のファラオは、あの黄金のマスクで有名なツタンカーメンです。
東地中海の民族
東地中海の沿岸(現在のシリア、パレスチナ)には三つの民族がいました。その理由は、東地中海沿岸は重要な交易の拠点だったからです。
ここでは東地中海に住んでいた民族、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人を紹介します。アラム人とファニキア人は、覚えるときに
「どっちが内陸交易で、どっちが海上交易だったけ?」
となりがちです。何度も繰り返し唱えて記憶に定着させましょう。
内陸交易 アラム人
アラム人は内陸交易を行いました。
彼らの使っていたアラム文字は西アジア各地に広がります。主に拠点としたのは後にウマイヤ朝の都となったダマスクスです。
海上交易 ファニキア人
同じく交易を行ったファニキア人は、海上交易で活躍します。
商売を行う過程で、地中海各地に多くのファニキア人都市を作りました。中でも有名なのは、ローマ帝国の歴史に登場するカルタゴです。カルタゴはローマと戦争しますね。
もう一つ有名なのは、フェニキア文字です。フェニキア文字はアルファベットの起源とされています。アルファベットを見たことも書いたこともないという人はいないですよね。
フェニキア文字はギリシアに伝わって、ギリシア文字となります。α(アルファ)やβ(ベータ)、Δ(デルタ)というのはギリシャ文字ですね。そのギリシア文字がアルファベットとなっていきます。
ユダヤ教 ヘブライ人
ユダヤ教を生み出したことでも有名ですよね。
ユダヤ教は
などで有名ですね。しかし、数々の苦難が成立の背景にあるというのは押さえておきたいポイントです。
苦難を時系列順に並べると
エジプトで迫害される(この時、ヘブライ人たちを引き連れたのはモーセ)
↓
自分たちの国を作るが分裂
↓
分裂した国も滅亡
↓
新バビロニアからバビロン捕囚を受ける
などです。
苦難の連続が、選民思想などの要素を含んだユダヤ教へ影響を与えたというのは大事ですね。
オリエント統一そして分裂
ついに達成されたオリエントの統一。しかし、厳しい統治が分裂を招いてしまいます。
アッシリア
初めてオリエントを統一したのはアッシリアという国です。アッシュル=バニパル王という王の征服活動により達成されました。
しかし、厳しすぎる統治がアッシリアを短命にしてしまいました。
具体的には
「俺に逆らった民族は根絶やしにしてやる!」
というスタンスですね。そのあまりの残酷さから、多くの反発の声が生まれました。そうして反乱が起こって、4つの国に分裂しました。
4つに分裂
アッシリアが分裂してできた国は
エジプト、リディア、メディア、新バビロニア
です。
最終的にこの4国を統一するのはアケメネス朝ペルシアです。
寛容で中央集権的 アケメネス朝ペルシャ
再びオリエントを統一したのはアケメネス朝ペルシアという国です。厳しすぎる統治で滅んだアッシリアを反面教師にし、寛容な政治をしました。
3代目のダレイオス1世はサトラップ制で広大な領土を中央集権的に管理します。この時の領土はインドの北東部からギリシャの北東までありました。
その領土を郡に分けて、サトラップという知事を置きました。知事が反乱を起こそうとしていないかを監視する監視官(王の目、王の耳)も置きます。そうして中央集権的な国を作りました。
しかし最終的に、アレクサンドロス大王により滅ぼされます。
アケメネス朝ペルシア滅亡後
アケメネス朝ペルシアが滅亡した後の流れはこんな感じです。
アレクサンドロス大王の大帝国
↓死後
3つに分裂
↓
パルティア(中国名:安息)
↓
ササン朝ペルシヤ
ササン朝ペルシャ
ササン朝ペルシャはパルティアを倒して西アジアに成立した国です。都はクテシフォン、国教はゾロアスター教(拝火教)と定められます。
帝政ローマや東ローマ帝国と並ぶ強国で、長い間抗争を繰り広げます。
この抗争が、イスラーム教の聖地メッカやメディナが発展するきっかけになりました。
そうして、生まれたイスラーム教徒と戦うこととなり(ニハ―ヴァントの戦い)、ササン朝ペルシャは敗北します。その結果、滅亡しました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回はメソポタミア文明からササン朝ペルシャまでの古代オリエントを簡単にまとめました。
古代オリエントの流れをつかんで、高得点を目指してみてくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
(世界史)超わかりやすい周王朝 中国史
皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史で中国史を勉強していると周という王朝が出てきますよね。周って結構長くて覚えられないと悩んでいる方もいるかもしれません。
そこで今回の記事では周王朝を超丁寧に解説していきます。この記事は
を押さえたい人におすすめです。
周王朝とは
周王朝は中国史で殷の後に中国を支配する王朝です。前後の王朝を図で表すとこうなります。
ちなみに
- 殷や秦はどんな王朝だったか
- 中国史全体の流れを知りたい
という方はこちらがおすすめです。
周は前半の鎬京に都があった時代(西周)と後半の洛邑に都があった時代(東周)に分けられます。東周は春秋戦国時代があって周の権威が弱体化した時代です。
家族が大事 周の統治体制
周は封建制で中国を統治しました。封建制というのは王が血縁者に土地を分け与えて統治させるシステムです。図で表すとこんな感じになります。
土地を与えられた血縁者は諸侯となって世襲制で土地と民を統治しました。なので大きな家族で国をまとめたと言えますね。
周の支配層には卿・大夫・士(けい・たいふ・し)の三つの階級がありました。三階級とも王や諸侯の家臣です。支配層たちの中では家柄を重んじており、氏族(自分たちの父方の一族)を重視していました。氏族をまとめるために、家ごとに宗法というルールを作ります。
遷都→春秋戦国時代へ
しかし、前8世紀に周の都である鎬京は異民族から攻撃されます。その結果、東の洛邑に遷都しました。
遷都をきっかけに諸侯たちは
「異民族から逃げて遷都するなんて、周は情けない」
と思い始めた結果、起こったのは周の権威の低下です。
その後長く続く混乱と分裂の時代、春秋戦国時代が始まります。ここでは春秋時代と戦国時代に分けて見ていきましょう。
王を守ろう 春秋時代
春秋時代は最も強い諸侯(覇者)を決めるため争った時代です。”春秋”というのは孔子の歴史書『春秋』から名付けられます。
尊王攘夷(外国勢力を追い払って王を守ろう)を名目に覇者の座を争ったので、この時点では周王は尊ばれていました。
斉・晋・楚・呉・越(せい・しん・そ・ご・えつ)の五つの国です。
王になろう 戦国時代
戦国時代はそれぞれの諸侯が王を自称して、中国を統一のため争う時代です。最有力の覇者晋が家臣に乗っ取られたが戦国時代になるきっかけでした。乗っ取られた晋は
韓・魏・趙(かん・ぎ・ちょう)の三つに分裂します。
そうして、下克上(立場が下の者が上の者を打ち倒す)という風潮ができたのです。
なんだか日本史の戦国時代のようですね。ちなみに日本史の戦国時代は周の戦国時代から名付けられます。
春秋時代では一応尊ばれていた周王は、戦国時代になると完全に無視されました。国力を高めて、強国となったのは戦国の七雄でした。戦国の七雄は
秦・斉・燕・楚・韓・魏・趙(しん・せい・えん・そ・かん・ぎ・ちょう)
という国です。
最終的に、国力を上げることに成功した秦が中国を統一しました。周は秦によって滅亡します。
社会の変化
分裂と混乱の時代だった春秋戦国時代には、多くの変化がありました。どんな変化があったかというと
- 農業生産力向上→氏族の力が弱体化
- 青銅貨幣による商業の発展
- 諸子百家が活躍
です。
農業生産力向上→氏族の力が弱体化
一つ目の農業生産力向上は、鉄製農具と牛が農業に使われるようになったからでした。頑丈な鉄製農具と力の強い牛の力で土地を耕します。
その結果、少人数でも農業ができるようになりました。以前より簡単に農業ができるようになったので、一族全員でやらなくていいですよね。そうして、氏族の力は弱まりました。
また、農作物が余ること(余剰生産物)が起こります。余剰生産物を売るという概念が生まれ、次で紹介する商業の発達へ繫がります。
青銅貨幣による商業の発展
二つ目に起こったのは商業の発達です。農具に使われていた青銅を使って、青銅貨幣が生まれます。青銅貨幣には刀銭、布銭、半両銭がありました。
それぞれの形は
刀銭=刀の形
布銭=農具の形
半両銭=今の五円玉のような形
です。
貨幣が普及したそれぞれの国では、余剰生産物を追い風にして商業が発展しました。
諸子百家の活躍
春秋戦国時代は諸子百家(独創的な思想を説く人たち)が活躍します。混乱の時代に求められたのは、独創的な思想です。
「まとまった国を作るにはどうしたらいいだろう?」
「戦いに勝つにはどうすればいいのか?」
などはこの時代の王の悩みでした。
その悩みを解決してくれる諸子百家は大いにもてはやされます。
諸子百家で有名なのは孔子が祖となった儒家ですね。孔子は仁と礼(思いやりの気持ちを持つことと行動に移すこと)、そして上下関係の重要性を説きます。孟子や荀子がさらに教えを発展させました。そうして、後世に大きな影響を及ぼす儒学が生まれました。
他にも諸子百家は
などがいました。
もっと詳しく諸子百家について知りたいという方は、こちらがおすすめです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は周王朝の
- 政治体制
- 宗族
- 春秋戦国時代
- 社会の変化
について解説しました。
今回の記事を参考に世界史の勉強を頑張ってくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
本気で英語ができるようになりたい人へ送る英語を学ぶメリット7選
皆さんこんにちはルリアゲハです。
あなたは英語って何のために学習するのかと疑問に思ったことはありませんか。こう聞かれると、多くの人は
「英語が話せるとなんとなくかっこいいから」
「好きな洋画や洋書を原文で理解できるようになりたいなあ」
「英語ができるようになって、みんなに褒められたい」
「英語ができた方が給料が上がるからです!」
などと答えるかもしれません。これらの理由だと諦める理由がすぐに見つかってしまいます。
英語を学習するには
- 膨大な時間やお金
- 継続すること
が必要です。なので、自分にとって替えの利かない理由がないと、英語を学ぶ苦労を乗り越えられないですよね。
この記事は
- 自分の英語学習を続ける理由が見つからない
- 英語学習がつらくて諦めようかと悩んでいる
- 翻訳機があるんだからわざわざ英語を学ばなくても大丈夫と思っている
- 英語を苦労して学んだ先には何があるのか知りたい
という人にはおすすめです。さあ、この記事を読んで決してぶれない軸を手に入れましょう。
- 1,英語を話せる人たちの仲間になれる
- 2,世界中の人と対等な人間関係を築ける
- 3,質の高い情報がより多く手に入る
- 4,井の中の蛙状態から脱却できる
- 5,海外旅行がより楽しくなる
- 6,英語以外の外国語を学びやすくなる
- 7,日本以外に住む選択肢が生まれる
- まとめ
1,英語を話せる人たちの仲間になれる
英語をネイティブスピーカーと同じぐらい話せると、英語のネットワークに入れます。英語のネットワークというのは世界中の英語を話す人々の繋がりのことです。
世界には英語の話者が約15億人います。日本語だと1億2700人ほどなので、圧倒的な差がありますね。
つまり英語の話者になれば、日本語しか話せない人に比べると
- 勉強
- 仕事
- 人間関係
などの可能性が大きく広がります。
2,世界中の人と対等な人間関係を築ける
英語がペラペラになると、世界中の人たちと対等な人間関係を築けます。
これは翻訳機ではできません。
なぜ対等な人間関係が大事なのかというと
「相手と対等になれないと、馬鹿にされたり、搾取されるから」
です。対等でなければ、仲間や友達になれないということですね。
例えばあなたは海外へ留学に行ったとします。そして、外国人の友達を作りたいと思いました。
英語ペラペラな外国人にとって英語のできないあなたはよそ者です。もしあなたがすごく良い人と巡り合えたら、親切にしてくれるでしょう。でも、仲間ではないあなたに本当に大事な話はしてくれないかもしれません。
そして、全員が親切にしてくれるとはかぎらないです。英語ができないあなたを騙したり、馬鹿にしてくることもあり得ます。
そのリスクを軽減するには、英語を話せるようになるのがベストです。そういう意味でも英語が話せる人と話せない人は、本当の意味で平等になれないのです。
英語を話せるようになる=世界中の人と真の仲間になるチケットが手に入ると言えます。
3,質の高い情報がより多く手に入る
英語を使えると、日本語で情報収集をするよりも質の高い情報がより多く手に入ります。世界中の人に知ってもらおうとすると、英語で情報を発信するのがベストだからです。なので情報量は必然的に増えます。
例えば、あなたは新しいアイディアを見つけました。そのアイディアをより多くの人へプレゼンしたいです。次のAとBのどちらの会場で発表したいですか。
会場A 50人に伝えられる
会場B 1000人に伝えられる
もちろん会場Bですよね。前にも言ったように英語の話者は約15億人で、日本語は1億2700人います。英語ができると、さっきの例で例えたより大きな会場でプレゼンできるのです。
「え、私情報を発信しないから…」
と思った方もいるかもしれません。情報を受け取る側はより最新の情報をより多く手に入れることができます。洋画でも海外で公開されて何年後かに日本でも公開されますよね。
英語ができた方が今の時代に最も価値がある情報という面で他の人をリードできるのです。
4,井の中の蛙状態から脱却できる
英語ができると視野が大きく広がります。
なぜなら、実際にたくさんのことを自分で体感できるからです。自分自身で体感した結果、新しい情報や経験、アイディアが生まれます。これらは形がないですが、大事な財産です。
例えば、
- 日本の良い所と悪い所
- 海外の文化の特徴
- 海外で出会った人たちはどんな生活をして、どんな考えを持っているか
- 日本の常識と海外の常識の違い
などです。
ここで、
「そんなの今どきネットで調べられるじゃないか」
と思った方もいるかもしれません。この疑問に対して私は、
「本当に信じられるのは自分自身で見たり、体験したものだけである」
と答えます。なぜそう言えるのかというと、
情報の発信者の経験=自分自身の経験
ではないからです。
例えば、私が今まで経験したことと、あなたの経験したことは全くの別物ですよね。自分自身の経験ではないので、どうしても情報の発信者の主観が入ったり、語り手の都合の良いように誘導されたりします。誘導というのは語り手がその経験で失敗した事実を隠したり、自分の商品を買ってもらうために、偏った情報を発信するということです。
英語を話せるようになれば、自分自身で広い世界を体感することができます。また、
- 自分にとって信憑性の高い情報
- 自分だけの経験
- 新しいアイディア
という財産を得られます。
5,海外旅行がより楽しくなる
英語ができると海外旅行がより楽しめます。
これは英語を勉強したことがある人なら、言うまでのないことですね。なので、ここでは少し違った切り口で解説します。
人は得をしたいというよりも損をしたくないと思いがちです。この場合
旅行が楽しいとか嬉しいという気持ち=得
トラブルに会ったらどうしようという不安=損
といえます。不安がより少ない方が旅行を楽しめますよね。
「それホントかよ」
と思った方もいると思います。なので、一つ例を挙げてみましょう。
例えば、あなたはある人に
「1万円をあげよう」
と言われたとします。その後
「もし1週間待ってくれたら、5倍の5万円をあげよう」
と言われました。すごく怪しいですが、そこは考えないでおきましょう。
あなたは
- 今すぐに1万円をもらう
- 1週間待って5万円をもらう
のどちらがいいですか?
きっと多くの人が今すぐにもらう方を選ぶと思います。
万が一その人の気が変わって1円ももらえなかったら損ですよね。
このように損をすることや恐怖が人を動かしてしまうのです。なので、旅行をして、
- 英語を話す必要があったらどうしよう
- トラブルに巻き込まれるのが怖い
という不安を和らげるためには英語を学ぶのがベストです。
6,英語以外の外国語を学びやすくなる
英語を学んでおくと、英語以外の外国語を学びやすくなります。日本だと
外国語を学ぶ=英語
というイメージが強いですよね。それだけ英語の学習教材が需要があるということです。
逆に言うと、英語以外の外国語の教材はあまりありません。大きめの書店へ行ってみても、英語に比べたら数が少ないです。あっても初心者向けのものがほとんどで、中上級者向けのものは見かけないですね。
それに対して、英語で外国語の学習素材を探すと、いろいろな学習素材を見つけられます。
また、ヨーロッパの言語に限定されますが、英語で学んだ方が
- 文法や語順
- 単語のスペルと発音
が似ていて学びやすいです。
「ヨーロッパの言語でも話者数の多いフランス語やスペイン語を学んでみたい!」と少しでも思っているのなら、英語を学んでみるのがおすすめです。
7,日本以外に住む選択肢が生まれる
英語ができると、海外に移住する選択肢を考えやすくなります。
逆に英語ができないと
「海外移住に興味があるんだけど、英語話せないからなあ…」
という感じでフットワークが重くなりますね。人は面倒なことはやらない理由を見つけてしまいがちです。大変な海外移住はよっぽどの意志がないと、やらない方へ流れていきます。
英語を話せるようになっておくと、
- 海外に住んで働いてみたい
- ネットで仕事をしながら海外に住みたい
- 日本よりも○○の雰囲気が好きだなあ
と思ったときに行動しやすくなります。今漠然と海外移住に興味を持っているという人は英語をコツコツと学習することがおすすめです。
まとめ
いかがだったでしょうか。今回は英語を学ぶメリットを7つ紹介しました。
何度も言いますが、英語を学ぶには多くの時間とお金が必要です。そして、あなたには英語以外のことに労力を費やす選択肢があります。
なんとなくの目標では労力がもったいないです。なので
- 今英語を学習している人
- 学習しようか迷っている人
は今回学んだことを参考に「なぜ英語を学ぶのか」と自分自身に問いかけてみましょう。そして、明確な目標や圧倒的なメリットを見つけてみてくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
(世界史)場所と特徴が分かる古代南北アメリカ文明
皆さんこんにちはルリアゲハです。
ヨーロッパ人がやって来る前、南北アメリカ大陸にはたくさんの文明がありましたよね。 あなたは
「この文明はどこで起こったっけ?」
「どんな文明があったっけ」
などと思っていませんか。今、私のことを言っているなと思った方も大丈夫です。
この記事を読めば
南北アメリカ文明
南北アメリカ大陸にはたくさんの文明がありました。文明があったのは前1200年頃から15世紀です。
文明ができた地域で分けると
となります。
メソアメリカは北アメリカ大陸の南のほうで、南アメリカ大陸と繋がっていますね。
もう一方のアンデス山脈周辺は南アメリカ大陸の太平洋に面した方です。
メソアメリカには主に
がありました。
また、アンデス山脈周辺にあった文明で有名なのは、インカ帝国です。
特徴
南北アメリカ文明全体の特徴を挙げると
- 青銅器文明(鉄器はなかった)
- 農耕をしていた
- 大型動物牛や馬はなし
- 高度な石造建築
- 車輪なし
です。
南北アメリカ文明はまだまだ謎が多い文明です。例えば、高度な石造建築を作るための石はどうやって運んだのかなどです。
重いものを運ぼうと思ったとします。そうすると、荷物は車輪の上に載せて牛や馬に引かせますよね。しかし、車輪はありませんでした。本当にどうやって運んだのでしょうか。
メソアメリカ文明
現在の中米あたりでできたメソアメリカ文明。今回はその中の
の四つの文明を紹介します。
オルメカ文明
オルメカ文明は前1200年ごろに、メキシコ湾岸でできました。
この記事で紹介する文明の中で一番古い文明です。なので後の文明にも影響を与えます。
オルメカ文明で有名なのは巨大人頭像ですね。巨大人頭像というのは名前の通り、人の頭の形をした像です。
マヤ文明
次のマヤ文明は前1000年から16世紀まで続く文明です。かなり長く続いていますね。どこで栄えたのかというとユカタン半島です。
「は?ユカタン半島ってどこだよ」
という方はこの地図をご覧ください。
マヤ文明では絵文字という文字やマヤ暦という暦法がありました。ピラミッド状の神殿も有名ですね。
他には二十進法という数の数え方を使用します。
二十進法は20になると桁が繰り上がる数の数え方です。現在私たちの使う十進法は10になると一つ上の桁になりますよね。二十進法はそんな感じのものです。
テオティワカン文明
テオティワカン文明はメキシコ高原に前1世紀に栄えます。メキシコ高原はここです。
宗教・商業都市として繁栄しました。
アステカ王国
アステカ王国は、テオティワカン文明のあったテオティワカンを首都として発展します。
地図でいうと点だった文明が面状になりましたね。文明の特徴は絵文字やピラミッド型の神殿があったことです。
しかし、1521年にヨーロッパから来たコルテスにによって滅亡してしまいます。
アンデス文明
南米のアンデス山脈周辺には前2千年紀から農耕文化ができました。
やがて農耕文化が発展し、多くの都市文明になっていきます。その中でここで紹介するのはインカ帝国です。
インカ帝国
インカ帝国は15世紀半ばにできた比較的新しい文明です。文明の範囲は現在のコロンビア南部からチリと広大ですね。
インカ帝国はペルーのクスコが首都でした。なので人々は標高2000m以上の高地で生活していたと言えます。有名な遺跡マチュ=ピチュも標高2430mにありますね。
インカ帝国ではキープで数を記録しました。キープというのは紐の結び目の形や色で数を表して記録するものです。
文字はなかったので、まだまだインカ帝国の全貌は明らかになっていません。
そしてインカ帝国は1533年にヨーロッパからやってきたピサロによって滅亡してしまいます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は南北アメリカ文明について解説しました。
南北アメリカ文明は
- どの文明がどこにあった
- それぞれの文明の特徴
は押さえておきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
(プロフィール)高校生で人生の半分以上を英語に費やしたブログ運営者紹介
皆さんこんにちはルリアゲハです。この記事までたどり着いていただきありがとうございます。
このブログでは学生向けに使える英語力と歴史の知識を身に着けて、自分の価値観で生きられるようになる発信をしています。私は現在高校生で人生の半分以上を英語に費やしてきました。
きっとこの記事に着いたあなたは、いくつかの記事を読んで、
「このブログの運営者はどんな人なんだろう?」
「経歴は?」
「なぜこのブログを開設したの?」
などと思っているかもしれません。そこで今回はその疑問にひとつひとつ答えていきます。
簡単な自己紹介
ここまでたどり着いたあなたはある程度私のことを知っていると思います。ですが改めて自己紹介をさせてください。
改めて、私はルリアゲハといいます。
自分の経歴をまとめてみると
◇高校生
◇英検2級
英語学習年数:十数年
幼い頃から英会話教室に通う→中学の頃、歴史の楽しさに気付く→高校は英語特化コースへ→現在は得意教科の英語と歴史(世界史)をブログで発信
という感じです。タイトルの高校生で人生の半分以上を英語に費やしたというのは十数年英語を学習し続けたということです。
また、私は現在英検準一級に向けて励んでいます。
ちなみに、趣味は読書と音楽を聴くことです。
私のツイッターアカウントはこちらです。
ルリアゲハ@高校生ブロガー (@Ruriiiageha) | Twitter
なぜブログを始めた?
私がブログを始めた理由は自分のコンテンツを作って、多くの人に見てもらいたいと思ったからです。
私は幼い頃からあまり学校や周りの人たち、周りの環境があまり好きではありませんでした。なぜかというと、同調圧力が大嫌いだったからです。
そのとき、自分の周囲とは違う世界を見れる勉強や読書は楽しいということに気づきました。YouTubeでたくさんの音楽を聴くことにも夢中になります。
そのうちに、自分もいつか自分がYoutubeで見た人たちのように素晴らしいコンテンツを作って発信したいと漠然と考えました。
そんな私が高校に入って、最初に思ったのは「なんでこの学校に入ったのか」ということです。そう思うほど学校の雰囲気に合わなかったのです。
いろいろと挫折してどうしようと悩んでいる時、ネットでブログを始めるという選択肢を見つけました。詳しく調べると、
- 低コストで始められる
- ビジネス感覚やSEO(検索最適化)の知識が身に着く
- 文章力が上がる
- 収益化を目指せる
などと紹介されていました。中でも一番惹かれたのは自分のコンテンツを作って、多くの人に見てもらえる点です。昔から憧れていたことができるとわかって、ブログを始めようと決心します。
決して楽な道ではないですが、今も頑張り続けています。
このブログが目指す未来
このブログが目指す未来は「より多くの人が、勉強することによって、自分の価値観で自由に生きられる世界にする」ことです。
そのために、このブログを訪れる人に使える英語と歴史の知識を提供することで達成していきます。
ここで
「なぜ自由に生きるためには勉強する必要あるのか?」
と思った方がいると思います。私は、この疑問に対する答えは
「勉強ができる人と本当の意味で対等になるため」
だと考えています。私が思うには
勉強ができる人=社会で偉いとされている人や成功者
です。その人たちと対等になれないと、その人たちにとって都合のいいように扱われ、搾取されます。そうして自由に選べる選択肢を失っていくのです。
自分の価値観で自由に生きるには学び続けるのが一番です。学び続けないと人は退化するし、学ぶか学ばないかで豊かな人生が送れるかが決まります。
豊かな人生=自分の価値観で自由に生きられる人生
です。
なので私はこのブログを通じて、自分が学びながら、多くの人が自由に生きられるお手伝いをしていきます。
あなたへ
今あなたは「今が一番楽しい、他にはもう何もいらない」と自信を持って言えますか。中には今の環境が最悪すぎて、何もかも諦めたいと思っている人もいるかもしれません。
それでも勉強することだけは諦めないでください。なぜなら、正しい勉強は絶対に裏切らないし、あなたの中から無くなったりもしないからです。
苦しい現状を変えて、自由で幸せな暮らしをしたい。将来、成功者になって、金持ちになりたい。そう思う人は明日からではなく今日から勉強した方がいいです。
「そうは言っても何から学んだら良いのだろう?」
と思った人へ自分のすべきことの見つけ方のヒントを教えます。
人はファンか友達にしかなれないのです。ここでいうファンは対等ではない関係で、友達は対等な関係の人たちのことです。
あなたはどんな人たちと友達になりたいですか?
友達になりたいと思う人がしていることが、あなたの学ぶべきことです。
このブログは、勉強で自分や周囲の環境を変えたいというこのブログが目指すあなたの味方です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
(世界史)中国史の覚えておきたい用語5選
皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史で中国の歴史を勉強していると儒学や科挙などの用語や中華思想などの思想がよく出てきますよね。これらがわかると世界史の中国史を理解しやすくなりますよ。
あなたは易姓革命、中華思想、儒学、科挙、宦官について全て説明できますか?出来ないという方も大丈夫です。
この記事を読めば
が説明できるようになります。
易姓革命
易姓革命というのは中国の王朝交代を説明する理論です。周王朝の時に生まれました。
どういう理論かというと天命を受けて新たな有徳者が国を治めるという理論です。
わかりやすく言うと、支配者にふさわしい人に
天は
「国を治めなさい」
と命令を下して国を治めさせます。天に選ばれた支配者が亡くなると、一族の中から後継者を選んで国を存続させました。そして、その国の支配者が支配者としてふさわしくないと天が判断します。そうすると、今度は新しい人を見つけて支配者に任命します。
この思想が生まれた周は前の王朝を倒してできた王朝でした。なので支配を正当化するため
「自分たちの一族は天に支配者として選ばれた一族だ!」
と主張しました。
易姓革命の考えは周の後の王朝も採用し、国を治める一族が変わると王朝名が変わるという伝統ができました。
中華思想(華夷思想)
中華思想は自分たち漢民族は他に比べて文化的に優れているという思想です。易姓革命と同じ周の時代に生まれました。中国は世界の中心だという思想は歴代王朝の外交に影響を及ぼしました。
例を挙げると、冊封体制やそれに基づいて行われた朝貢貿易です。冊封体制は周辺諸国は中国に貢物を持ってきて、中国は貢物をくれた国に返礼品などを与える朝貢貿易で成り立った外交関係のことです。
東アジアでは長い間中国と周辺諸国が、冊封体制によって主従関係を結んで国際秩序を保ちました。
儒学
儒学は孔子によって生まれた仁と礼(周囲に思いやりの心を持って行動する)や上下関係を重んじた思想です。
周王朝の春秋戦国時代に生まれました。諸子百家の一人である孔子の後に、弟子の孟子や荀子によってさらに発展していきます。
諸子百家について詳しく知りたい方はこちらがおすすめです。
周の次の王朝秦では弾圧されます。しかし、秦の次の漢以降では国をまとめるために官学化しました。
科挙
科挙というのは隋の時から清(598~1905年)まで行われた、官僚登用試験です。
家柄でなく実力で官僚を採用するために行われます。科挙は
- 王朝によって出題される部分が少し異なる
- モンゴル人王朝の元ではあまり行われなかった
というのが特徴です。
試験の内容は四書五経という書物が中心でした。
試験に合格するには、膨大な量の四書五経を完全暗記することが求められます。まさに超過酷な試験ですね。合格すれば莫大な権力と富が手に入るので、倍率がピーク時には3000倍になりました。なのでカンニングが横行します。
家柄でなく実力で官僚を選ぶという試験だったので、男性ならだれでも受験できました。しかし、実際に合格するのは学習環境を充実させられる経済的に裕福な層ばかりでした。
宦官
宦官は宮廷で働く去勢された男性です。主に皇帝の身の回りの世話などをしました。身分は低かったですが、皇帝の側にいたので、政治的に権力を持つこともありました。
有名な宦官は漢の蔡倫(さいりん)や明の鄭和(ていわ)です。蔡倫は製紙法を改良したことで有名ですね。もう一人の鄭和は明の永楽帝に重用され、南海遠征を指揮しました。
まとめ
今回は世界史の中国史を理解するのに、特に重要な用語をピックアップして紹介しました。中国史はとても長いので、最初の方に出てきた用語はあやふやになってしまいがちです。
今回の記事でとりあげた
は絶対押さえておきましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
(世界史成績アップにつながる)大航海時代って何?超丁寧に解説
皆さんこんにちはルリアゲハです。高校で世界史を勉強すると、大航海時代ってありますよね。ヨーロッパ社会を大きく変えたと言われますが、いったいどんな変化があったのでしょうか。
わからないという方も大丈夫です。この記事を読めば
について理解できます。
大航海時代って何
大航海時代というのは15~16世紀にかけて行われました。大航海時代は遠洋を航海し、新しい航路を見つける時代です。
レコンキスタで出来たばかりのポルトガルとスペインを中心に行われました。
始まった理由
大航海時代はなぜ始まったのでしょうか。その理由は主に三つあります。
地中海を通さずに香辛料を手に入れる
大航海時代の目的の一つは地中海を通さずに香辛料を手にいれることです。香辛料は肉をおいしく長期保存できる優れものでした。
大航海時代の前はアジアの香辛料は、イスラームを経由した地中海貿易で手に入れていました。しかし、アナトリア半島にオスマン帝国が台頭すると、地中海はオスマン帝国が支配するようになります。
そうすると、香辛料の値段を上げられたりします。それでも香辛料を求めるヨーロッパの人はたくさんいました。なので直接アジアから船で香辛料を手に入れようと、新航路を開拓します。
キリスト教を布教
二つ目の理由はキリスト教(カトリック)をヨーロッパの外へ布教するためです。
大航海時代の頃は教皇の権威が下がったり、教会の堕落などでカトリックはピンチでした。同時代には宗教改革も起こりますね。
ピンチを脱するため、カトリックの国であるポルトガルやスペインはアジアや新大陸へ布教しに行きます。日本にも戦国時代にザビエルなどのたくさんの宣教師が来ますよね。日本の戦国時代とヨーロッパの大航海時代は同時期でした。なので戦国時代の日本には布教のため多くの宣教師が訪れました。
羅針盤が改良された
三つ目の理由は羅針盤の改良です。羅針盤というのは陸の見えない大海原でも方位を示してくれる道具です。中国で生まれ、イスラーム世界を通じてヨーロッパへ伝わります。ほぼ同時に起こったルネサンスで改良され、遠洋航海が可能となりました。
なぜポルトガルとスペインが中心となった?
なぜ大航海時代は数多くのヨーロッパの国の中で、ポルトガルとスペインが中心となったのでしょうか。その答えは単に地理的に大西洋への航海がしやすいだけではなく、どちらの国も中央集権的だったからです。
中央集権国家だと何が良いかというと、船を出すための資金を集めやすかったことです。船を出すためには莫大な資金が必要でした。具体的に言うと、造船費や長い航海に必要な食糧費、多くの乗組員を雇う費用などですね。国としてまとまっていれば、国の事業として行えたので資金調達が比較的簡単でした。
ポルトガルとスペインはイスラームからイベリア半島を取り返すレコンキスタで成立しました。
レコンキスタでは土地を取り返すために戦う必要があります。なので、イスラームとの闘いに勝つために国は王を中心に一致団結していきました。そういった背景からポルトガルとスペインは他のヨーロッパの国よりも先に中央集権化か進みました。
これらの理由からポルトガルとスペインがどんどん新航路を発見していきます。
インドへの航路そして世界一周
ポルトガルがインドへ
香辛料が集まるインド方面へ先に行ったのはポルトガルです。
とバトンを繋ぐようにインドへの航路を開拓します。
最初のエンリケはポルトガルの王子です。航海活動を積極的に支援したので「航海王子」と呼ばれています。しかし、本人は船酔いが酷かったので船にはほとんど乗らなかったそうです。彼の送った艦隊はアフリカ西岸まで到達しました。
その次のバルトロメウ=ディアスはアフリカ大陸南端に到達します。この場所はポルトガル王ジョアン2世によって喜望峰と名付けられます。
喜望峰は「峰」と名前に付いているのに山ではありません。どちらかというと岬です。ジョアン2世はこの場所を「Cape of Good Hope」(希望の岬)と付けました。なのに日本語で喜望峰と呼ぶのは不思議ですね。
そしてついにヴァスコ=ダ=ガマがインド東回り航路を開拓しました。ヴァスコ=ダ=ガマはインドのカリカット上陸し、少量ですが香辛料をヨーロッパに持って帰ります。
マゼランの世界一周
史上初の世界一周を達成したのはマゼランです。
スペイン王のカルロス1世が彼を援助します。カルロス1世は神聖ローマ帝国の皇帝も兼任しており、神聖ローマではカール5世でした。
マゼラン一行は
大西洋→南アメリカ大陸の南端(現在のマゼラン海峡)→太平洋→インド洋
というルートで世界一周を成し遂げます。
しかし、マゼラン本人はフィリピンで戦死してしまいます。なので最終的にスペインに帰ってきたのは、マゼランの部下でした。
新大陸へ
ついに、現在は南北アメリカ大陸と呼ばれている新大陸にヨーロッパ人がたどり着きます。最初に新大陸にたどり着いたのはスペインから援助を受けたコロンブスでした。なので、コロンブスの後はスペインが中心となってアメリカ大陸の探検をします。
コロンブス
初めて新大陸に到達したのは、イタリア出身の航海士コロンブスです。当時のイタリアはルネサンス真っ只中で、最新の学問や芸術が集結していました。ルネサンスって何だったけという方にはこちらがおすすめです。
そんな中コロンブスはトスカネリの地球球体説に感銘を受けます。地球球体説は簡単に言うと
「地球は平らではない。球体だ!」
という説です。当時はまだ誰も世界一周してなかったので、本当に地球が球体なのかは分かりませんでした。
コロンブスはこの地球球体説を基にして
「もし地球が球体ならば、大西洋をずっと西に行くとインドに行ける!」
と考えました。
コロンブスはこのアイディアを、スペイン女王イサベルにプレゼンしにいきます。これは、ポルトガルに先を越されていたスペインにとっては絶好のチャンスでした。なので、スペインはコロンブスに資金を出すことにします。
スペインを出発したコロンブス一行は70日かけてバハマ諸島のサンサルバドル島に到達しました。サンサルバドル島はカリブ海に浮かぶ島で、現在の西インド諸島にあります。
コロンブスはこの後3回新大陸に行きますが、最後まで新大陸を”インド”と誤認しました。
アメリカ大陸の探検
コロンブスの後、カブラルやアメリゴ=ヴェスプッチがアメリカ大陸の探検をします。
ポルトガルのカブラルは現在のブラジルに行きます。そして、アメリゴ=ヴェスプッチはコロンブスが行った場所は新大陸だったと確認します。
征服
大航海時代はヨーロッパにとっては輝かしい歴史でしたが、先住民たちにとっては暗黒の時代でした。
具体的にはヨーロッパ人に征服されたことですね。
例えば南北アメリカ大陸には独自の文明がありました。南北アメリカにあった文明を詳しく知りたい方は、こちらがおすすめです。
しかし、ヨーロッパ人が来ると、
文明の滅亡
先過酷な労働を強いられる
征服活動や感染症による人口の激減
などの苦難が先住民たちに訪れます。
征服は主にスペインの征服者(コンキスタドール)によって行われました。コンキスタドールのコルテスはアステカ王国を、ピサロはインカ帝国を滅ぼします。
なぜこんなことをしたかというとスペインにはエンコミエンダ制があったからです。エンコミエンダ制は先住民にキリスト教を布教してくれたら、現地にいるスペイン人に土地と先住民たちの管理を認める制度です。
しかし実際にはポトシ銀山などの銀山や農園で先住民を酷使します。その結果、先住民の人口が激減します。
トルデシリャス条約
トルデシリャス条約はスペインとポルトガルが結んだ地球を分譲する条約です。南北アメリカ大陸はスペインの領土で、ブラジルとアジアはポルトガルの領土にしてよいというものでした。
大航海時代の結果
ヨーロッパから起こった大航海時代は多くの影響を世界中に与えました。主な影響は
- 価格革命
- 商業革命
- 世界中に銀が大量に出回る
- 農場領主制が拡大する
という感じです。これらの変化によって、中世の社会から近代の社会へ移り変わっていきます。価格革命や商業革命、農場領主制はパッと見て分かりづらいので少し解説しますね。
価格革命
価格革命は、新大陸から大量に銀がもたらされたことにより、ヨーロッパで物価の高騰が起こったことです。
流れを説明すると
銀が大量に出回る→銀の価値が下がる→物価上昇
です。
その結果、定額で土地代を集め続けた領主層が没落し、中世の体制が終わりを迎えます。
商業革命
商業革命は貿易の規模が世界中に広がった現象です。人々が狭いヨーロッパから飛び出した結果、広い世界中で貿易をするようになりました。
もう一つ価格革命が起こしたのは、貿易の中心の変化です。中世ヨーロッパでは、地中海貿易やバルト海での貿易が中心でした。なのでその周辺の諸都市で商業が発達します。しかし、大航海時代を迎えると貿易の中心は大西洋沿岸の地域になりました。
農場領主制
もう一つの変化は東ヨーロッパでの農場領主制(グーツヘルシャフト)の拡大です。農場領主制は領主が農奴に農業をさせるシステムです。西ヨーロッパではこの仕組みが衰退しましたが、東ヨーロッパでは拡大していきます。
その結果、西では商業をして、東では農作物を作るという分業体制が発達します。西ヨーロッパの人は、自分たちの食料はお金で買えるようになっていったのです。、これが資本主義経済の元となって行きます。
まとめ
いかがだったでしょうか。今回は大航海時代について解説しました。大航海時代は中世から近代に移り変わっていく大事な流れの一つです。なので同時期に起こったルネサンスと宗教改革と一緒に押さえましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
(ごちゃごちゃ解決) サクッと読める中国の王朝まとめ(中国史)
皆さんこんにちは。ルリアゲハです。皆さんは中国史で
「中国王朝ってどういう順番だったっけ?」
「郡県制と封建制ってどっちがさきだったっけ?」
「宋ってどんな統治をしてたのか思い出せない」
などとごっちゃになりませんか。中国史は長いですから、一度授業で習っても全然思い出せないですよね。
そこで今回は、中国文明から清までをざっくりとまとめていきます。
この記事を読めば
- 中国文明から清まで
- それぞれの成立
- 政治の特色
- 滅亡の理由
がわかります。
- 二つの中国文明
- 占いで統治 殷
- 血縁で統治 周
- 徹底的な統治で短命に
- 緩い統治から中央集権国家に 前漢
- 古臭い政治ですぐ滅亡 新
- 後漢
- 三国志で有名 三国時代
- 異民族の北と漢民族の南に分裂 魏晋南北朝
- 短期間で唐の礎を築く 隋
- 国際的な大帝国 唐
- 短期間の分裂 五代十国
- 平和で自由 宋
- 中央アジアまで支配し東西交流が活発に モンゴル帝国(元)
- 管理的に統治 明
- 長期間続く異民族の王朝 清
- まとめ
二つの中国文明
黄河のほとりで生まれたのが仰韶文明で、長江のほとりに生まれたのが竜山文明です。中国と言えば広いですよね。なので、それぞれ気候が異なり、それに適した穀物を育てていました。
仰韶文明では中国の北のほうの気候に合ったアワやきびなどの雑穀を育てます。そして彩文土器という土器を使いました。
そして竜山文明は中国の南で米を栽培します。
土器は黒陶という黒い土器を使用しました。
仰韶文明は北で雑穀を栽培、彩文土器を使用
竜山文明は南で稲作、黒陶を使用と覚えておきましょう。
占いで統治 殷
中国文明の中で、生まれた邑という集団がをまとめてできたのが、殷という王朝です。殷の遺跡で有名なのは殷墟です。周は長く続く王朝で、前半を西周、後半を東周と呼びます。王の血縁に土地を与えて統治する封建制を実施したのが特徴です。
特徴は占いをして政治の方向性を決めるという政治をしました。占いは亀の甲羅に甲骨文字という文字を刻んで、火であぶるという感じでした。
滅亡の原因は最後の殷王は妃と贅沢三昧をして、政治をしなくなったからです。なので、後の周王が殷を滅ぼしました。
血縁で統治 周
殷を滅ぼして生まれたのは周です。血縁で統治する封建制で国をまとめます。 しかし異民族に攻撃されて、東へ遷都することになりました。
「異民族に負けて遷都するなんて情けない!」
と周の権威は下がり、諸侯たちは新しい覇者を決めるために争いを始めました。これが春秋戦国時代です。四百年ほど続く長い戦いのなかで諸子百家という思想家たちが現れたりもします。
諸子百家については詳しくはこちらで解説しています。
最後には春秋戦国時代の最終的な勝者の秦に滅ぼされ、長い歴史に幕を閉じます。
周についてもっと詳しく知りたい方はこちらがおすすめです。
徹底的な統治で短命に
春秋戦国時代を終わらせた秦には中国史上初といわれることがたくさんあります。それは
- 初めて中国全土を支配
- 初めて皇帝が誕生
- 中央集権的な強国ができる
- 文字や長さの単位、貨幣を統一
- 官僚制を実施
などです。ちなみに、初めての皇帝があの有名な始皇帝です。秦以降の王朝は独裁的な皇帝が広い中国を支配するというスタイルになります。
統治の方法は、郡県制という仕組みで治めました。郡県制というのは全国を郡に分けます。そして郡の中に県を置きます。すべての軍と県に役人を置いて、皇帝が直接指示します。図で表すとこんな感じです。
しかし強力な国を短期間で完成させた秦は、たった十五年で滅亡してしまいます。その主な原因は
- 厳しい法の統治
- 急激すぎる改革
の二つです。これらの不満を持った人々が反乱を起こします。その中で有名なのが項羽と劉邦が活躍する陳勝・呉広の乱です。
緩い統治から中央集権国家に 前漢
陳勝・呉広の乱で活躍した劉邦が、項羽との争いの末、漢という国を建てました。漢は一度滅ぼされた後に復興するので、前漢と後漢と分けられています。
前漢は周と秦の良い所を融合させた郡国制で統治します。どんな感じかというと、都周辺は秦のように官僚制で厳しく治め、地方は功績のある部下に緩く治めさせました。
秦のように厳しすぎず、かといって周のように緩すぎない国が目標でした。しかし、地方の支配者が好き勝手にし、最終的に中央集権国家になってしまいます。
前漢黄金期の武帝は、異民族と戦うために積極的に遠征しました。内政の面では儒学を官僚に学ばせたりします。
しかし、武帝死後は、宦官と外戚(皇后や皇后の親戚)が政治に口を出すようになります。そうして衰えた前漢は帝位を奪われてしまいます。
古臭い政治ですぐ滅亡 新
衰退した前漢から王莽が帝位を奪って生まれたのが新です。新は名前に反して古臭い政治をします。
それは、約千年前の周を理想とした政治です。千年前の政治なんて時代が変わりすぎて、うまくいくはずないですよね。なのですぐに赤眉の乱などの反乱が起きてしまいます。赤眉の乱というのは、反乱に参加する人たちが赤い眉にするというので印象的ですね。最終的にわずか十五年で滅亡します。
後漢
反乱の中、漢王朝の生き残り、劉秀が漢を復興します。ローマ帝国との東西交流をしたりします。製紙法を改良して、紙を実用化した王朝でも有名です。
後漢も前漢と同じように宦官と外戚が政治に口出しします。そして宮廷内で派閥闘争が起こって、どんどん後漢は衰退してしまいました。黄巾の乱などの乱が多発し、最終的に魏に帝位を譲ることになります。
三国志で有名 三国時代
後漢が滅ぶと、有力な三つの国が天下を取り合うようになりました。
その三国が魏、呉、蜀です。いろいろなゲームや漫画、映画などで有名な三国志ですね。
戦いの末、魏が勝ちますが、家臣の司馬炎に国を乗っ取られてしまいます。なので、最終的に勝ったのは司馬炎の作った晋です。
しかし、晋は、後継者争いですぐに滅亡します。
異民族の北と漢民族の南に分裂 魏晋南北朝
南では晋滅亡後、晋王朝一族の司馬睿が晋(東晋)を再興しました。貴族文化が花開いた東晋は、すぐ滅亡して
宋→斉→梁→陳
というようにコロコロと王朝が変わる分裂時代になります。
北には五つの異民族が次々と国を建てました。なので五胡十六国時代といいます。その中でも北魏という国は重要です。均田制や自分たちを漢民族に寄せる政策を実施します。
最終的に隋という国が長い分裂時代を終わらせます。
短期間で唐の礎を築く 隋
長い分裂時代を終わらせた隋はたった二代で終わりますが、後にも続く制度を多く実施した国です。
制度の例を挙げると
- 均田制
- 租庸調制
- 府兵制
- 科挙
があります。全て初代の文帝が実施しました。
しかし、二代目の煬帝は悪い意味で歴史に名前を残しています。黄河と長江を結ぶ大運河の建設です。
「中国の北と南を結んでより多くの人や物を効率的に運べるようにしよう」
という狙いで大事業は行われます。確かに狙い通りにはなりましたが、建設のため数百万人の農民が酷使され、死者も多く出ました。
さらに煬帝は三回の高句麗遠征のために、また、農民を働かせて運河を建設します。そうして挑んだ遠征は大失敗でした。
民衆の不満が溜まって反乱が起こり、最終的に王朝は滅びました。
国際的な大帝国 唐
唐は反乱で台頭した李淵が建国しました。唐は隋の均田制、租庸調制、府兵制の三点セットと科挙を取り入れた後継国家です。
官僚の組織、三省六部などを実施して、唐は東アジアの大帝国として君臨します。
しかし、唐の均田制、租庸調制、府兵制が崩れて、辺境を守る節度使が力を持つと、どんどん衰退しました。
やがて黄巣の乱が起こると唐は滅亡しました。
短期間の分裂 五代十国
唐が滅亡すると中国は七十年ほど分裂します。北には
という感じで王朝ができてはすぐ滅びました。
五つの王朝が入れ替わり、周辺には十余りの国ができたので五代十国時代と言われます。
五代十国時代に終止符を打ったのは宋という王朝です。
平和で自由 宋
宋という王朝は趙匡胤という人物によって建国されました。趙匡胤は最初に唐滅亡のきっかけとなった節度使を廃止しました。そして武よりも学問を重んじる文治主義の国にします。
学問を重視したので国の軍事力は低下しましたが、相変わらず北方から異民族が攻めてきました。宋がとったのは、北方民族に毎年大量の金品を渡す代わりに、宋に攻めてこないように約束させる策です。金で平和な世を買ったとも言えますね。
結果的に国は財政難になりますが、民衆にとっては平和で自由な国になりました。
そんな中、宋に大ピンチが訪れます。北方民族の国の金に皇帝一家が捕らえられたのです。この事件を靖康の変といいます。必死に逃げて生き残った高宗が南に宋(南宋)を建てます。
しばらくは宋は続きましたが、最終的に元に滅ぼされました。
中央アジアまで支配し東西交流が活発に モンゴル帝国(元)
モンゴル帝国は遊牧民のチンギス=ハンが建国し、周囲の国をどんどん支配します。強い軍隊と優秀な子や孫たちでさらに領土を広げていきます。
最大領土は中央アジアやロシアまで広がりました。
そして孫のフビライの時に中国風に元に名前を変えます。元といえば、鎌倉時代に日本にも攻めてきましたね。
モンゴル帝国(元)は残虐といわれることが多いですが、大帝国を作り東アジアとイスラーム、ヨーロッパを繋げました。
その結果、ユーラシア大陸内でたくさんの人や物が行き交います。例として、中国の火薬や『東方見聞録』で有名なマルコ=ポーロなどが挙げられます。
元末期に皇帝がチベット仏教を狂信をして、財政難になったことでお金を刷りまくりました。その結果経済が大混乱し、漢民族に紅巾の乱を起こされます。その中で元は滅亡しました。
管理的に統治 明
明は紅巾の乱で頭角を現した朱元璋によって建国されます。明の特徴は管理的な統治です。例として
などがあります。
明の最盛期は三代目の永楽帝です。宦官の鄭和(ていわ)に南海遠征を命じました。
永楽帝死後、明は北虜南倭という状況に悩まされました。簡単に言うと、北から異民族、南からは海賊の倭寇が襲ってくるということです。
北虜南倭を乗り越えた後、十四代目の万歴帝に仕える張居正が活躍しました。彼は税を銀で治めさせる一条鞭法を実施します。
一条鞭法についてはこちらの記事で詳しく説明しています。
滅亡のきっかけは、張居正死後に万歴帝が政治をしなくなって、官僚と宦官の対立が宮廷内で起きたことです。国は衰退し、李自成の乱が起き、李自成が都北京を占領しました。そして明は滅亡します。
長期間続く異民族の王朝 清
明の次に中国を支配する清は漢民族の王朝ではなく、女真族という異民族の国です。清は初代皇帝のヌルハチが、モンゴル高原で後金という王朝を建てたことから始まります。そして、二代目のホンタイジが清と改名しました。北京に向かい李自成を倒した後、都を北京とした明の後継王朝となります。
清は中国の伝統と女真族の伝統をうまく融合しました。
例えば、儒学や科挙を重んじる一方で、漢民族の男子に辮髪という女真族伝統の髪型を強要します。
清の最盛期は康熙帝、雍正帝、乾隆帝の三人です。優れた皇帝が三人も続くなんてすごいですね。
しかし、最盛期が終わると、ヨーロッパや日本などの列強に翻弄され、衰退していきます。焦った清は近代化を進めますが、失敗して、辛亥革命で清は滅亡しました。
まとめ
いかがだったでしょうか。今回は中国文明から清までをざっくりと解説していきました。あくまでも「ざっくり」なので、詳しい解説は随時追加されていくリンクでご確認ください。
最後までお読みいただきありがとうございます。
(もう迷わない)otherとanotherの違い
皆さんこんにちはルリアゲハです。皆さんが英語を勉強していると、otherやanotherという(他の~)表現に出会ったことがあると思います。あれって、どっちがどういう意味か解りづらくないですか?文法書を読んだり解説を聞いてもよくわからないと思うかもしれません。
そこで今回はotherとanotherの違いについて丁寧に解説していきます。これを読めば
- otherとanotherの意味的な違い
- the otherやothers、the others という表現について
- 使い分け方
- 分かりやすい覚え方
が分かります。
otherとanother
otherは「他のいくらか」でanotherは「もう一つの」という意味です。日本語訳だけ見てもあまりピンとこないと思うので、もう少し補足します。どちらも人や物を特定していないというのが共通点です。
otherは表している人や物の数がとても曖昧な表現です。
複数あるとわかっていますが、具体的に数を表していないからです。otherのすぐ後ろには基本的に名詞が来て、名詞は複数形を必ず使います。例を挙げると、other sportsという感じです。
もう一方のanotherは特定していない一つのものを表します。anotherというのはan+otherのことを指します。anというのは特定されていない一つの物のことです。なので、絶対に単数形が続きますし、anothersとはなりません。
(熟語) one after another
anotherという語を使った熟語としてone after another(次々と)というものがあります。これは一つ(one)が来た後にすぐにもう一つ(another)が来るといった感じです。まるでoneとanotherがベルトコンベアに乗って流れているとも表現できます。
the otherとthe others
theが付いたこれらの表現は、どちらも特定する意味合いが含まれていて、(残りの~は)ということを表します。それぞれ
the otherは1つ(1人)
the othersは2つ(2人)以上
という感じで使い分けます。
(熟語)the other day
the otherを使った表現にthe other day(先日)というのがあります。この表現はthe otherにday(日)で構成されているので、今日ではない特定の日ということで先日という意味になります。
まとめ
いかがだったでしょうか。今回はotherとanotherの違いを解説しました。ぜひ違いを理解してこれらの表現をマスターしてくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
(ネタバレなし感想)小説版リゼロの魅力3選 1章~6章まで紹介
皆さんこんにちはルリアゲハです。2021年1月から、アニメ二期後半が放送されるリゼロ(Re:ゼロから始める異世界生活)。
今回はそのアニメの原作である小説(ラノベ)シリーズをネタバレなしでレビューします。ネタバレしちゃうと本を読む楽しみが半減しちゃいますからね。
この記事は
- リゼロに興味を持っている
- 読書が趣味
- 未読or今読んでいる途中なのでネタバレは避けたい
- 面白い話が読みたい
- 今何かに挫折して諦めようかと悩んでいる
という方におすすめです。特に辛くて諦めようかと悩んでいる人には強くお勧めします。なぜなら今回紹介するのは、困難に諦めずに立ち向かっていく主人公たちの物語だからです。
著者紹介
Re:ゼロから始める異世界生活の著者は長月達平先生です。小説投稿サイトの小説家になろうに投稿した同作が大ヒット。小説家になろうでのヒットをきっかけにKADOKAWAのライトノベルレーベルMF文庫Jで書籍化されました。ちなみに、小説家になろうに投稿されたリゼロはこのリンクから読めます。
http://ncode.syosetu.com/n2267be/4
2021年1月現在小説は25巻まで刊行されている大人気作家です。25巻っていうのは本編だけで、短編集などを含めるともっとありますよ。
さらにリゼロは下のようにメディアミックスもしています。
まさに知名度抜群の作品を生み出した大人気作家ですね。
ちなみに、長月先生のツイッターアカウントはこちらのリンクからです。
鼠色猫/長月達平 (@nezumiironyanko) | Twitter
そして、リゼロ公式サイトはこちらです。(こちらからリゼロの最新情報をチェックできます)
作品の内容
Re:ゼロから始める異世界生活のジャンルは異世界ファンタジーです。
※画像はイメージです
ストーリーをざっくり紹介すると、こんな感じです。
主人公のナツキ・スバルは突然異世界に召喚された。途方に暮れたスバルは次の王候補の一人であり、物語のヒロインでもあるエミリアに出会う。異世界にきては死ぬことで時間を巻き戻す能力(死に戻り)が使えるようになったスバル。スバルは死に戻りを使ってエミリアに協力していく。
2021年1月現在25巻まで出ている本作は、下の図のように1章から6章までに分けられています。
1章は王都でスバルとエミリアが出会う話で、言い換えるとプロローグですね。プロローグなので、ここを読んだだけではリゼロの面白さはまだまだ分からないと思います。
2章はエミリアが拠点とするロズワール邸と近くのアーラム村が舞台です。そのロズワール邸でスバルは使用人として奮闘します。そして、巻き起こる事件を解決するため死に戻りでループしていきます。
3章では主人公たちの行動範囲が大きく広がり登場人物もかなり増えます。ここでスバルは今までとは比べられない絶望感を味わいます。
しかし、3章の面白い所は、スバルが大きく成長するところです。3章ラストは感動的ですよ。
そのあとの4章は聖域という場所が舞台です。この章ではスバルだけでなく、エミリア含め他のキャラも成長していきます。キャラの過去が多く語られるのも特徴です。
4章から一年後の話である5章は水門都市プリステラにエミリアたちが招待されるところから始まります。他の王候補者たちと共闘して都市を守ったりするストーリーは圧巻です。
また、スバルたちの成長が実感できる章でもあります。
6章は賢者の知識を求めてプレアデス監視塔へ向かう話です。人の記憶といった内面のがテーマです。少し抽象的で難しいテーマですが、人の記憶って何なんだろうかと考えさせられる章です。
作品の魅力
よくリゼロは
「主人公がダメダメ過ぎて見ていられない」
「キャラクターが死にまくってグロすぎる」
などと批判されたりしています。確かにそれらの批判は一理ありますので、リゼロは万人受けするものではないかもしれません。
しかし、私はそうした部分が作品をより魅力的にしていると感じています。その理由は三つあります。
1.ダメな主人公の成長
一つ目は最初はダメな主人公だったスバルが、話が進むごとに成長していくことです。
スバルは
- 不登校の高校生
- 目つきが悪い
- 剣や魔法の才能がない
- 知恵や運動神経もいまひとつ
- 世渡りが上手くなくて、言動がうざい
という絵に描いたような残念な主人公です。なので周囲からは信用に欠けるという評価を受けます。死に戻りで、時間を巻き戻して手に入れた情報も信用してもらえません。さらにたった一人死に戻りをして、大事な人たちが死ぬのを何度も見ます。
そんな八方塞がりな主人公が努力して信頼を勝ち取り、仲間を増やして絶望へ抗っていきます。特に5章はスバルが著しく成長して活躍する姿が圧巻ですよ。
2.超シリアスで絶望的なストーリー
リゼロは鬱展開といわれるくらい重たい話です。主人公の死、仲間の死、とたくさんの人が死にます。
その過程で精神崩壊したりもします。まさに超シリアスで絶望的なストーリーといえます。
だからこそ章の終わりに事件が解決したら、一種の爽快感を感じるほどハッピーエンドに感じられます。
やはり人々を魅了するのは山あり谷ありな物語ですね。リゼロは谷である絶望の部分が深いので、山である幸せな場面が高く感じられます。
そう考えると、このシリアスなストーリーが話の魅力を際立たせているといえます。
3.緻密な設定とシナリオ
リゼロの一番の魅力はリアリティを感じさせる緻密な設定やシナリオだといえます。
キャラ設定の例を挙げると、エミリア陣営はもちろん、ライバルとなる他の4陣営のキャラクターも丁寧に描かれています。それぞれのキャラの人柄や心情、過去なども細かく作りこまれています。なのでどのキャラクターも実在すると錯覚させるくらいリアルです。
シナリオも同じように言えます。話の中で、周囲に信用されてないスバルが、いろいろな人へ自分に協力してくれるよう交渉する場面があります。しかし,
「協力しても私たちに何の得もない」
「話に信憑性がない」
と断られてしまいます。物語の主人公だからという理由で、都合よく助かったりしないというのはリアルな感じに思えました。
リゼロの作り物っぽくないキャラクターや異世界ファンタジーなのに実在しそうな世界観は作品の魅力を引き立たせています。
作中の名言3選
ここで作中の名言をたくさんある中から三つ紹介します。
一つ目は
「未来のお話は、笑いながらじゃなきゃダメなんですよ?」
出典:Re:ゼロから始める異世界生活6 259ページ 長月達平
というレムがスバルに語り掛ける言葉です。レムは3章でスバルとともに行動するキャラクターです。この場面では、スバルはあまりの絶望的な状況を目の当たりにし、すべてを諦めて、逃げようと考えていました。しかし、本心では諦めたくないとおもっていました。
「自分が心から笑って語れる未来こそが自分にとって本当に幸せな未来である。」そう考えると、自分がどこへ向かって行ったら幸せになれるのかが。少しずつ分かってきますね。
そして、二つ目は
「戦うと、そう決めたのであれば全身全霊で戦いなさい。敗北に至る能書きなど忘れて、どんな手段を用いても勝利という一点に貪欲に食らいつきなさい。まだ立てるなら、まだ指が動くなら、まだ牙が折れてないのであれば、立ちなさい。立ちなさい。立って、立って、斬りなさい。生きている限り、戦いなさい。戦え、戦え、戦え!」
出典:Re:ゼロから始める異世界生活5 84ページ 長月達平
という老剣士ヴィルヘルムのセリフです。この場面でスバルはヴィルヘルムに剣を指南してもらいます。その時にヴィルヘルムはスバルに戦いの根本的な心構えを説きます。
「こうありたいと心から思える未来や目標が見えたのなら、負ける前提で挑戦してはならない。何としてでも掴み取りにいくのだ。」と思わせてくれる熱いセリフですね。
最後の三つ目は
「生きてさえいれば、希望はあるもんや。せやけど、体はもちろん、心が死んでしもても希望は潰える。生きな、あかんよ。どんな状況でも、生きな」
出典:Re:ゼロから始める異世界生活18 92ページ 長月達平 KADOKAWA MF文庫J
というエミリアのライバルであるアナスタシアのセリフです。この場面では、強敵の攻撃により、悲惨な状態となった都市を守るための話し合いをします。
「命と絶対に諦めない心があれば、どんなに絶望的でも希望はある。」と思わせてくれますね。
私がこのセリフが書かれた18巻を読んだのはコロナでの自粛ムード漂う2021年4月でした。その時私は、苦労して掴んだ留学のチャンスを失ってしまいました。今も希望は見えないですが、「どんなにつらくても命と諦めない心は捨てないでいよう」とこの本を読んで意思を固められました。
まとめ
いかがだったでしょうか。今回はネタバレなしでRe:ゼロから始める異世界生活をレビューしました。
過酷な状況でも諦めない主人公たちを見ていると、どんなことがあっても諦めないでいようと思いますね。今行き詰って何かを諦めたいと思っている方は、この本を読んで解決のヒントを探してみるのもいいかもしれませんね。
最後に、冒頭の著者紹介で挙げた小説家になろうのリンクを貼っておきます。こちらからもリゼロを無料で読めます。購入するか悩んだときは一度チェックしてみてもいいかもしれません。
http://ncode.syosetu.com/n2267be/4
最後までお読みいただきありがとうございました。